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アカシックレコード

アカシックレコード(英: Akashic Records)は、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で[1][2]、アーカーシャあるいはアストラル光[注釈 1]に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている[6]。宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層[7]を意味することが多い。アカシャ年代記(独: Akasha-Chronik、英: Akashic chronicles、アーカシャ記録、アカシアの記録[8])とも。近代神智学[注釈 2]の概念であり、その他の現代オカルティズムの分野(魔術等)でも神智学用語として引き合いに出されることがある。また、陰に陽に神智学運動の影響を受けている欧米のニューエイジや、日本の精神世界・スピリチュアル、占い、予言といったジャンルでも使われる用語でもある。アカシックレコードが存在する科学的根拠は得られていない[9]。

 

概要
アカシックレコードの「アカシック」はサンスクリット語の「アーカーシャ」[注釈 3]に由来し、その英語的な変化形である。アーカーシャは近代の西洋オカルティズムではエーテルに相当するものとされたが[10]、元来はインドの伝統的な概念であってオカルト的、ニューエイジ的な意味合いはない。アカシックレコードという言葉は全く近代ヨーロッパ的な用法である[10]。近代神智学を創始したヘレナ・P・ブラヴァツキー(1831年 - 1891年)はアーカーシャを生命力のようなものとみなし、これを以てアーカーシャは神智学の用語となった[11]。
アカシックレコード、アカシャ年代記は、神智学協会のブラヴァツキーが最初に使った言葉[12]、もしくは同協会に属し、のちに人智学を提唱したルドルフ・シュタイナー(1861年 - 1925年)が作った言葉と言われる[13]。シュタイナーは、透視能力のある意識のみが近づくことができる宇宙の超感覚的な歴史、「世界で起こったあらゆることが記録されている」「巨大な霊的パノラマ」を「アカシャ年代記」[14]「アカシアの記録」[8]と呼んだ[15]。近代神智学系の思想家・オカルティストたちによると、物理界・幽星界・神界・天空などの世界の果てに、それを取り巻くように不思議な境界線が遠く伸びており、ここには全宇宙の歴史が時間の流れにしたがって配列されており、これがアカシャ年代記・アカシックレコードであるという[16]。アカシックレコードは解読不能な言語によって記された書籍に喩えられる[16]。
近現代の神智学や人智学だけでなく、現代のニューエイジ文化の用語としても使われるようになり、神智学の影響を受けた心霊治療家・心霊診断家エドガー・ケイシーが使ったことで一般に知られている。ケイシーは催眠状態で病気の診断や予言を行ったが、彼が催眠時にアクセスしていたとされる潜在意識(無意識)の次元、これまでに経験した全ての事柄が刻まれた「霊的な記憶庫」が、のちに神智学の用語に倣って「アカシックレコード」と呼ばれるようになった[17]。
心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した心理学の概念である「集合的無意識」と同一視または類比されることがあり、「神の無限の記録または図書館」という意味でも使われ[注釈 4]、「世界のすべての現象を記録した霊界のスーパー・コンピューター」とも喩えられる[18]。しばしば万能の情報源と謳われ、一部の人々は実在すると考えている。未来の情報も含まれるとする場合、あらかじめ運命が決まっているという宿命論、予言が行えるとする場合は決定論となる。

 

歴史
神智学

小森健太朗は、ブラヴァツキーが古代アトランティス大陸の聖典だとした『ジャーンの書』について、記者にどこからこの文献をもって来たのだと問われ、「アーカーシャーの記録にアクセスしました」と答えたことが、おそらく世界で最初の用例であり[12]、著書『シークレット・ドクトリン』には「アーカーシャーの記録」という言葉があると述べている[19]。
『シークレット・ドクトリン』には、アカシックという形容詞は用いられていないという見解もある[11]。ブラヴァツキーは『シークレット・ドクトリン』の中で、「生命の書」 (the Book of Life)、アストラル光(英: astral light)でできた見えない書板にリピカ(Lipi-ka 書記)によって刻まれる「永遠の絵画ギャラリー」(過去、現在、未来のすべての行為や思考の記録)について述べている[15]。ブラヴァツキーは、この「生命の書」は、アストラル光で構成される見えざるキャンバスに、七大天使の子である言葉、声、霊から創造されたリピカが刻むものとしており、過去においては読み取ることができる種族もいたとする。または、「アーカーシャ」に、人間の行動(カルマ、因果)を記録する「永遠の絵画ギャラリー」があり、この記録(因果)に対して応報(因果応報)がある(神智学にはインドの輪廻転生、因果応報といった思想が取り入れられている)。
ブラヴァツキーは、「生命の書」は諸宗教に同様の定義があると述べている[20]。リピカの記録の媒体とされた「アストラル光」の名称はラテン語の「星」(ラテン語: aster < 古代ギリシア語: ?στ?ρ)に由来する。
ヘンリー・スティール・オルコットは The Buddhist Catechism(『仏教要理』、1881年)において「アーカーシャの記録のなかには永続的なものがあって、真の覚りの段階に達するとその同じものを読み取る潜在能力が人にはある」という考えが初期仏教にはあったと述べ[21]、アルフレッド・パーシー・シネット(英語版)(1840年 ? 1921年)は自著 Esoteric Buddhism (『秘伝仏教』、1884年)の中でその文章を引用している[22][11]。チャールズ・ウェブスター・レッドビータ(英語版)(1854年 - 1934年)は Clairvoyance (『透視力』、1899年)で「アカシックレコード」という名辞に言及し、それは透視家が読み取ることのできる何かであると認めた[11]。シュタイナー(下記)と同時期の1910年には、レッドビータはインドのアディヤールにおいて、アトランティス時代から28世紀の間の地球の歴史に関するアカシックレコードの霊視を行ったとしている。

シュタイナー


アイオワ大学元教授Marshal McKusickによると、アカシックレコードという言葉を作ったのはルドルフ・シュタイナーである[13]。
神智学協会ドイツ支部事務総長ルドルフ・シュタイナーは、1904年から1908年の5年間にわたり「ルツィフェル・グノーシス」誌[注釈 5]において「アカシャ年代記より」を寄稿した。シュタイナーが霊視によって観察したという宇宙や人間の進化の様子を描いたもので、レムリア大陸やアトランティス大陸にもふれながら人類と太陽系との劇的な出会いを語る宇宙誌である[23]。この連載はシュタイナーの生前に書籍として出版されることはなかった。

エドガー・ケイシー

アカシックレコードという概念は、心霊治療家・心霊診断家エドガー・ケイシー(1877年-1945年)が、晩年から死後にかけてアメリカ社会で人気になるのに伴い知られるようになった(ケイシーに関する著作トマス・サグルー著『永遠のエドガー・ケイシー』(1943年)が出版される晩年まで、ケイシーはあまり知られていなかった)。彼は、メスメリズム(動物磁気療法、催眠療法)による催眠状態で人々からの相談や質問に答えるという、特異な人生を送った[24]。喉頭炎を患い声が出なくなった時に、メスメリストによる催眠治療を受けたが、催眠状態では声を出すことができ、普段とは異なる人格が現れた。その人格が語る病気の原因と治療法によりケイシーは失声症を克服し、また催眠下では他者の病の治療法も教えたため、徐々に患者の相談に答えるようになった[24]。競馬や株価の予想といった私益の相談には、うまく能力を発揮することはできなかったという[24]。1923年に印刷業者で宗教・哲学、特に近代神智学に詳しいアーサー・ラマース (Arthur Lammers) に出会い、ラマースは神智学の教えなどを催眠時のケイシーに質問し、ケイシーは神智学の影響を大きく受けた[24]。ラマースの勧めでケイシーは病気相談(フィジカル・リーディング)だけでなく、過去生の経緯や過去生を含む人生全体の相談(ライフ・リーディング)に応じるようになり、支持者が集まり活動は組織化されていった[24]。グノーシス主義等を研究する宗教学者大田俊寛は、ケイシーの思想には神智学協会に始まる近代の神智学と『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」、その代替医療にはニューソートの影響が認められると述べている[24]。女優シャーリー・マクレーンのオカルト色の濃い自伝的書籍で、ベストセラーとなった『アウト・オン・ア・リム』では、ケイシーの輪廻転生論が重要な位置を占めている[24]。リーディング記録をもとに彼の思想や歴史館を語るジナ・サーミナラ著『転生の秘密』(1950年)などがベストセラーになり、ケイシーの思想はニューエイジにおいて重視された[24]。
ラマースの知識は神智学に基づくもので、神智学の霊魂観の真偽などを催眠時のケイシーに質問した。これに対し、ケイシーは次のように説明している。人間の霊魂は輪廻転生を続けており、太陽系は八次元からなる「魂の修養場」である。三次元を特徴とする地球では、霊魂は三次元的身体(肉体)をまとって自由意思を行使する。地球では肉体と霊体という二重性のために、人間の意識は顕在意識と潜在意識に完全に分離してしまい、潜在意識は眠り込んだ状態になる。潜在意識の次元では、魂がこれまでに経験した事柄(過去生を含む)がすべて記録されている[24]。ケイシーはこの潜在意識の記録、「霊的な記録庫」にアクセスし、過去世の記憶から得た情報により人々の相談に応じているのだという[24]。この「霊的な記録庫」が、のちに神智学の用語に倣って「アカシックレコード」と呼ばれるようになった[24]。ケイシーは、相談者の問題は、前世から受け継いだ「カルマ(因果)」によって起こると考えた[24]。また、滅亡した古代大陸アトランティス(現在では架空と考えられている)に生きたアトランティス人が多数アメリカに転生していると述べ、アトランティスの興亡をめぐる超古代史なども語った[24]。ケイシーは、科学技術の暴走による文明の滅亡など終末思想の濃い予言を間近なものとして語り、核兵器の脅威におびえる人々の支持を得た[24]。これらの予言が当たることはなかった[24]。
ケイシーのリーディング結果は1万4000件に及び、アメリカのエドガー・ケイシー財団(Association for Research and Enlightenment、A.R.E.)が管理している[24]。
アカシックレコードへのアクセス方法はチャネリングまたはリーディングと呼ばれるが、これらは心霊主義の交霊会に由来し、元々は霊媒によって行われた。1960年代のカウンターカルチャーを源流のひとつとし、1970年代後半に始まるアメリカのニューエイジ運動の中で、アカシックレコードへのアクセスが試みられていった。ニューエイジでは、世界のすべての現象を記録したアカシックレコードは実在し、それにアクセスするチャネリングは真正のものと考えられることがあり、異次元の「ソース」から高次の霊的な情報、真実であり重要な情報を得ることができるチャネラーが多数存在すると考える人もいた[18]。

 

オウム真理教
現代日本のオウム真理教は、近代神智学経由のヨーガを教義と修行の基本に置いており、近代神智学のアカシックレコードの概念から「神秘思想はもともと科学(真理)である」と考えた[16]。神智学では世界を、目に見える「物質界」・イメージ素の「アストラル界」・音素だけの「コーザル界」の三つに分け、こうした世界の果てに、宇宙の全現象が永遠に記録されているアカシックレコードと呼ばれるエーテル状の全記憶情報媒体が連なっているとしている[16]。教祖・麻原彰晃は近代神智学の宇宙構造をそのまま踏襲し、アカシックレコードの全情報性をコーザル界に置き、精神科学(コーザル界)から降ろされた情報が現世の科学となっていると説明した[16]。そして「精神科学の世界から情報が降りるのは直観によってであり、アインシュタインはじめ偉大な科学者は皆インスピレーションによって精神世界の情報を得て、それを理論化・実験によって検証し、個々の科学法則をつくってきた」と語り、これを逆転させ「釈尊も最高の科学者であった」と述べた[16]。日蓮宗善龍寺住職・前現代宗教研究所研究員の渋沢光紀は、オウム真理教の主張は精神世界は真理なのだから科学に他ならないという理屈であり、いわば真理は常に科学であるはずだとする、逆転した科学信仰であり科学万能論であると述べている[16]。

 

フィクション
さくらももこ『ちびまる子ちゃん』「まる子 ノストラダムスの予言を気にするの巻」少女漫画雑誌 『りぼん』1990年11月号に掲載
この話では、五島勉の『ノストラダムスの大予言』(1973年) に端を発する最初のノストラダムス・ブームでの子供たちの反応が描かれている[25]。作中では、主人公のクラスメートの花輪君が、ストラダムスの予言の根拠としてアカシックレコードを説明している。このエピソードはアニメ第1期(1990年 - 1992年)で放送された。  
皆川ゆか 『運命のタロット』『真・運命のタロット』(1992年 - 2004年、講談社X文庫ティーンズハート)シリーズ
この少女小説において、アカシックレコードが重要なモチーフとなっている。「運命のタロット」の「魔法使い」のカードの精霊の封印を解いてしまった女子高生が、アカシックレコードに刻まれた運命を守るタロットの精霊の陣営「ティターンズ」と共に、アカシックレコードに刻まれた運命を改変しようとする陣営「プロメテウス」と戦う少女向けファンタジーとして始まり、運命の決定論者と非決定論者の闘争の物語が展開された[26]。後半はシリアスなSFとなり読者を驚かせた。
平成ウルトラセブン
『ウルトラセブン誕生35周年“EVOLUTION”5部作』第5話にて、その存在が判明する。近未来、死滅する人類に代わり植物生命体が新たな地球の支配者となることが暗示されていた。また、これを書き換えることは、宇宙で最大の罪とされている。

 

脚注

注釈
^ アストラル光(仏: lumiere astrale)は、エリファス・レヴィが魔術の原理を説明するために「大いなる魔術的媒介」として提唱した概念[3]。宇宙に遍満する流体であり、フランツ・アントン・メスメルの動物磁気等の影響[4]、パラケルススの用語 Ens Astrale (星辰的実体)との関連[5]も指摘される。後の多くのオカルティストがこれを用語として採用している。
^ 近代の神智学は、マクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(人間)との照応というヨーロッパの伝統思想を理論的基礎に、インドの思想や仏教等を導入した新宗教で、西洋と東洋の智の融合・統一を企図していたといえる。ヨーロッパ思想であるにもかかわらずサンスクリット語が多用されるのは、インド思想が折衷されているためである。なおインド哲学や仏教の理解には限界があったため、カバラや新プラトン主義で補うという手法がとられた。
^ アーカーシャ(サンスクリット語: ????、阿迦奢)は「空間」を意味し、「虚空」または「空」と漢訳される。
^ シャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』では、集合的無意識をアカシックレコードと同等としたうえで、同様の表現をしており、この定義が一般的にも流通している。
^ シュタイナーが編集した雑誌。

 

出典
^ Drury 2002, p. 7.
^ Drury 2011, p. 308.
^ Nicholas Goodrick-Clarke. The Western Esoteric Tradition - A Historical Introduction. pp. 193-195.
^ 稲生 2013, p. 168.
^ ゲティングズ, 松田訳 1993, p. 237.
^ Greer 2003, p. 10.
^ 羽仁 2001.
^ a b ローザク, 志村訳 1978.
^ Regal, Brian (2009). Pseudoscience: A Critical Encyclopedia. Greenwood. p. 29. ISBN 978-1591020868 「アストラル投射の能力、他の界層の存在、アカシックレコードについては不確かな目撃者の証言以外に証拠はない。」
^ a b ゲティングズ, 松田訳 1993, pp. 15-16.
^ a b c d Hammer & Rothstein 2013.
^ a b 小森健太朗 6:03 - 2012年3月6日 twitter.com
^ a b McKusick 1982.
^ シュタイナー, 高橋訳 1998, p. 146.
^ a b アカシック・レコード 宮本神酒男
^ a b c d e f g 小冊子「現代教学へのアプローチ」「宗教と科学について-ニューエイジ批判を通しての一考察-」 渋沢光紀 日蓮 現代宗教研究所
^ 大田 2013, p. 115.
^ a b 日蓮宗現代宗教研究所 報第30号 「ニューサイエンスとパラダイムシフト 現代の宗教動向の背景にあるもの 松井教一」
^ 小森健太朗 5:31 - 2012年3月6日 twitter.com
^ SD Book I. p. 126.; 東條 2001
^ Olcott 1881, pt. II, n. 11.
^ Sinnett 1884, p. 127.
^ アカシャ年代記より 国書刊行会
^ a b c d e f g h i j k l m n o p 大田 2013.
^ まる子 ノストラダムスの予言を気にするの巻 ノストラダムスwiki
^ 「運命に負けないくらい幸せになりなさい」 路傍のワシ

参考文献
大田俊寛 著 『現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2013年。ISBN 978-4-480-06725-8。
セオドア・ローザク 著 『意識と進化と神秘主義』 志村正雄 訳、鎌田東二 解説、紀伊国屋出版社、1978年。
稲生平太郎 著 『定本 何かが空を飛んでいる』 国書刊行会、2013年。
フレッド・ゲティングズ 著 『オカルトの事典』 青土社、1993年。
羽仁礼 著 『超常現象大事典』 成甲書房、2001年。
ルドルフ・シュタイナー 著 『神秘学概論』 高橋巖 訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1998年(原著1910年)。
東條真人 著 『シークレット・ドクトリンを読む』 出帆新社、2001年。ISBN 978-4915497728。
Edgar Cayce, Edgar Cayce Readings DVD-Rom, Edgar Cayce's A.R.E, Inc.
Greer, John Micheal (2003). The New Encyclopedia of the Occult. Llewellyn Publication.
Drury, Nevill (2011). Stealing Fire from Heaven: The Rise of Modern Western Magic. New York: Oxford University Press. ISBN 978-0199751006.
Drury, Nevill (2002). The Dictionary of the Esoteric. London: Watkins Publishing.
Sinnett, Alfred Percy (1884). Esoteric Buddhism (5th ed.). Houghton Mifflin.
Brandt, Katharina; Hammer, Olav (2013). “Rudolf Steiner and Theosophy”. In Hammer, Olav; Rothstein, Mikael. Handbook of the Theosophical Current. Leiden, NL; Boston: Brill. pp. 122-3. ISBN 9789004235960.
McKusick, Marshall (1982). “Psychic Archaeology: Theory, Method, and Mythology”. Journal of Field Archaeology 9 (1): 112. doi:10.2307/529534.

 

関連文献
ルドルフ・シュタイナー 『アカシャ年代記より』(原著1904~1908年、1994年 高橋巌訳 国書刊行会)
ルドルフ・シュタイナー 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』(原著1909年、2001年 高橋巌訳 筑摩書房 ISBN 4480086641)
N.F.ジロフ『アトランチス大陸研究原典』(原著1977年、伊藤清久訳 新人物往来社 ISBN 4404024177)
エルヴェ・マソン『世界秘儀秘教事典』(2006年 蔵持不三也訳 原書房)
A.R.E.出版『黙示録の解読』(2004年 林陽訳 中央アート出版社 ISBN 4813602134)
木崎喜代治他『社会思想史』(1987年 有斐閣)
シャーリー・マクレーン『アウト・オン・ア・リム』(原著1986年 1999年 山川紘矢、山川亜希子(訳) 角川文庫 ISBN 4042798012)
村上陽一郎・細谷昌志『宗教 - その原初とあらわれ』(1999年 ミネルヴァ書房)

神智学協会(しんちがくきょうかい、英: the Theosophical Society)は、ヘンリー・スティール・オルコット、ヘレナ・P・ブラヴァツキー、ウィリアム・クアン・ジャッジ(英語版)らが1875年にアメリカのニューヨークで結成した神秘思想団体である[† 1]。神智学[† 2]を振興した。神智協会(しんちきょうかい)とも。

設立の背景には、19世紀後半のアメリカ・ヨーロッパで既存の教会を批判する一種のリベラリズムとして出現した「心霊主義」(spiritualism) の流行がある[7]。神智学協会は仏教やヒンドゥー教などの東洋の宗教思想の西洋への普及に貢献し、一方、インドの人々には普遍主義的なヒンドゥー教改革運動の一種として受け取られた[4]。神智学協会は思想面だけでなく社会的・政治的面でも一定の役割を果たし[† 3]、1920年代頃までは広範な影響力を有していた[9]。中心人物であったブラヴァツキーの思想は近現代の主要な神秘主義者たちに直接間接に影響を与え[10]、のちのアメリカのニューエイジにおける様々な思想・信仰、大衆オカルティズムの起源とされる[11][12][要ページ番号]。

神智学協会はいくつかに分裂しており、その実態はつかみにくいが、21世紀には[† 4]、インドに本部のある神智協会は約70ヶ国に支部があり、会員3万2千人ほどとされる[13]。

 

神智学協会の目的

「神智学#ブラヴァツキーと神智学協会(狭義の神智学)」も参照

神智学協会の目的は幾度も変更された。その一部を掲載する。

 

創設当初

宇宙を支配している法則についての知識を収集し普及させること (To collect and diffuse a knowledge of the laws which govern the universe)[14]。

1881年

人類の普遍的同胞愛の追求 (To form the nucleus of a Universal Brotherhood of Humanity)。

(これを実現するための)アーリヤ文献、宗教、科学の研究 (To study Aryan literature, religion and science)。

To vintage the importance of this enquiry and correct misrepresentations with which it has been clouded.

To explore the hidden mysteries of nature and the latent powers of Man, on which the Founders believe that Oriental Philosophy is in a position to throw light.[15]

1896年(現行)[† 5]

人種、信条、性別、階級、皮膚の色にとらわれることなく、人類の普遍的同砲団の核となること。/ 人種、信条、性別、階級、皮膚の色の相違にとらわれることなく、人類の普遍的同胞愛の中核となること。/ To form a nucleus of the Universal Brotherhood of Humanity without distinction of race, creed, sex, caste or colour.

比較科学、比較哲学、比較科学の研究を促進すること。/ 比較宗教、哲学、科学の研究を促進すること。[† 6]/ To encourage the study of comparative religion, philosophy and science.

未だ解明されない自然の法則と人間に潜在する能力を開発すること。/ 未だ解明されない自然の法則と人間に潜在する能力を調査研究すること。/ To investigate unexplained laws of Nature and the powers latent in man.[16]

 

概略

 

1875年、弁護士で名誉大佐のヘンリー・スティール・オルコット(通称オルコット大佐、1832年 - 1907年)[† 7]、ロシア出身のヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー(通称ブラヴァツキー夫人、HPBと略記、1831年 ? 1891年)、オルコットの同僚の若き弁護士ウィリアム・クアン・ジャッジ(英語版)(1851年 - 1896年)ら、一握りの人々によって「オカルティズムやカバラ等々の研究と解明のために」[17]、ニューヨークで神智学協会が設立された。当時、ブラヴァツキーの住んでいたアパートでは、オカルトに関心のある少数の人々が定期的に集会を開いており、1875年9月の会合ではジョージ・ヘンリー・フェルトという人物がカバラやエジプトの秘儀について講演を行った。そこでのフェルトの精霊に関する議論に刺激を受けて、オルコットはこの種のことを研究する会を組織することを思い立ち、ブラヴァツキーに提案した。かくして同年11月7日、神智学協会が発足した。当初の会員は18名ほどであった。オルコットが初代会長となり、初代副会長に解剖学教授セス・パンコーストと前述のフェルト、通信書記にブラヴァツキーが選出された。草創期の主な会員には元霊媒のエマ・ハーディング・ブリテン、著名なフリーメイソンのチャールズ・サザラン、ニューヨークの心霊協会会長ヘンリー・ニュートン、ニューヨークに来ていたロンドンの弁護士チャールズ・マシィなどがいた[17]。団体名に神智学という言葉を使うことを提案したのはチャールズ・サザランであった[18]。他に、医学者アレクサンダー・ワイルダー[† 8]、アブナー・ダブルデイ、トマス・エジソンなど、さまざまな人物が初期の神智学協会に参加した[20]。

1877年、ブラヴァツキーの主著『ヴェールを剥がれたイシス』(Isis Unveiled: A Master-Key to the Mysteries of Ancient and Modern Science and Theology)が出版される。

1878年、創立時からの会員である英人チャールズ・マシィが帰国して英国神智学協会が設立される[21]。オルコットらはヒンドゥー教改革団体アーリヤ・サマージとの提携を決め、12月、オルコット、ブラヴァツキーら数名がインドに向けて出立。

1879年、ボンベイ(現ムンバイ)を拠点にインドでの活動を開始し、雑誌『神智学徒』創刊。

1880年、ブラヴァツキーがインドの有力な英字紙の編集者であったアルフレッド・パーシー・シネット(英語版)の夏の別荘に滞在中、シネットの求めに応じて大師クートフーミから返信の手紙が届き、以後数年間に及ぶマハトマたちとの文通が開始される(A・P・シネット宛マハトマ書簡)[22][† 9]。

1882年、マドラス(現チェンナイ)南郊のアディヤール (Adyar;アダィヤール[† 10] [Adayar] とも) に神智学協会本部が設立される。

1883年、協会本部内に設けられた密閉されているはずの厨子の中にマハトマ書簡が頻繁に出現するようになる[25]。アンナ・キングスフォード(英語版)が英国神智学協会に加入、ロンドン・ロッジの長となるも、キリスト教神秘主義を志向したキングスフォードは帰国したA・P・シネットらのインド派と対立、シネットが同ロッジの会長となる[21]。

1884年、ブラヴァツキーとオルコットは欧州に旅行に出る。おおぜいの聴衆に迎えられ、多くの名士や知識人、新聞記者らが見に来る。これに伴いドイツでは「ゲルマン神智学協会」が設立される[26]。アンナ・キングフォードは自身の率いるヘルメス・ロッジを「ヘルメス協会」に改組して神智学協会から独立[21]。アディヤール本部の家政を任されていた元使用人エマ・クーロンは、マハトマ書簡やその他のさまざまな奇蹟は虚偽だったと暴露し、「奇跡」を起こすように指示したブラヴァツキーの手紙を公開(クーロン事件)[23]。これを機にロンドンの心霊現象研究協会は会員のリチャード・ホジソンを現地に派遣し、同年末、ブラヴァツキーがヨーロッパから帰還する前に調査が開始される。

1885年、「マハトマ書簡」の筆跡はブラヴァツキーのそれと同じであり、ブラヴァツキーは巧妙な詐欺師だと断定するホジソンの報告書が発表され(ホジソン・レポート)、協会は決定的な打撃を受ける。ブラヴァツキーは混乱を避けてヨーロッパに舞い戻り、オルコットはインドに残る。ホジソン・レポートの打撃を克服するため、ブラヴァツキーは隠棲先のヴュルツブルクで原稿を書き始める[27]。

1887年、先の不祥事による混乱が沈静化すると、ブラヴァツキーはイギリスのロンドンに移り、小説家メイベル・コリンズ(英語版)の家に逗留。ロンドン・ロッジとは別にブラヴァツキー・ロッジを開設し、機関誌『ルシファー』が創刊される[28]。

1888年、ブラヴァツキーが2年間に書き溜めた原稿が第2の主著『シークレット・ドクトリン』(The Secret Doctrine)として出版される。ブラヴァツキーのロッジ内に「秘教部」が創設される[29]。

1889年、後に協会の中心となる社会活動家アニー・ベサントが加わる。

1891年、ブラヴァツキー死去。後継者としてアニー・ベサントを指名するが、権力闘争となる。

1895年、アメリカのジャッジと、インドのオルコット、ベサントが決別。アメリカのジャッジの組織は「アメリカ神智学協会」として分離独立(この分裂以降、オルコットとベサントの率いるインド、ヨーロッパの派閥をアディヤール派と呼称する)。

1896年、米神智学協会を率いたジャッジが死去し、キャサリン・ティングリー(英語版)がその運営を引き継ぐ(この派は後にサンディエゴ近くのポイントロマにコミュニティーを築き[30]、ポイント=ローマ派と呼ばれる[31])[† 11]。ティングリーが各地で自派の正統性を訴えると、これに呼応してベルリンで米神智学協会傘下の「ドイツ神智学協会」が設立され、医師フランツ・ハルトマン(英語版)[† 12]がその指導者となる[33]。

1897年、フランツ・ハルトマン、ミュンヘンで「国際神智学同胞会」という分派を設立(翌年ライプツィヒへ移動)[34]。

1902年、会員の一人ルドルフ・シュタイナーがベルリンに神智学協会(アディヤール派)のドイツ支部を設立、その事務総長に就任。同地でシュタイナーは雑誌『ルツィフェル』を発刊(後に『ルツィフェル=グノーシス』に改名)[35]。

1907年、オルコット死去、ベサントがインドの神智学協会(現神智学協会アディヤール(英語版))のトップに就任。

1909年、チャールズ・ウェブスター・レッドビータ(英語版)がインド人少年ジッドゥ・クリシュナムルティを見出し、ベサントが養子として英才教育を施す。ロバート・クロスビーが米神智学協会(ポイント=ローマ派)から分かれて「ユナイテッドロッジ」(en:United Lodge of Theosophists)を結成[36]。イギリスの会員G・R・S・ミード(英語版)が脱退して「クエスト協会」を設立[36]。

1912年、神智学協会の第2代会長であったベサントとレッドビータがクリシュナムルティを世界教師(=キリストの再来)とする動きに反発し、ルドルフ・シュタイナーは神智学協会を脱退。

1913年、シュタイナー、人智学協会(アントロポゾフィー協会)を設立。

1923年、米国の神智学協会(アディヤール派)に関わっていたアリス・ベイリー(英語版)、独立して「アーケイン・スクール」(不朽の知恵、秘教占星学)を発足させる。

1925年、ベサントがクリシュナムルティをトップとする「東方の星教団」設立。ディオン・フォーチュンの『コスミック・ドクトリン』が発表され、フォーチュンは神智学協会キリスト教神秘主義ロッジの会長となる(1927年まで在任)[37]。

1929年、クリシュナムルティ本人が「真理は集団で追求するものではない」との考えに基づき、「東方の星教団」を解散する宣言を行い、神智学およびすべての宗教から離れる。インド、スリランカなど一部を除き、神智学協会の多くの組織が離反、協会の大部分が消滅する。

1934年、レッドビータ死去。アディヤール派はベサントとレッドビータの著作をもとに神智学を再構築(ネオ神智学)。内容はブラヴァツキーのものと幾分異なる。

 

歴代会長

歴代会長(分派後はアディヤールに本部を置く神智学協会の会長)

初代会長(1875?1907) ヘンリー・スティール・オルコット

2代会長(1907?1933) アニー・ベサント

3代会長(1933?1945) ジョージ・アルンデール(英語版) (George S. Arundale 1878?1945)

4代会長(1946?1953) C・ジナラージャダーサ(英語版)(C. Jinarajadasa 1875?1953)

5代会長(1953?1973) スリー・ラーム(英語版)(Nilakanta Sri Ram 1889?1973)

6代会長(1973?1979) ジョン・コーツ (神智学者)(英語版)(John B S Coats 1906?79)

7代会長(1980?2013) ラーダー・ブルニエ(英語版)(Radha Burnier 1923? 2013)

8代会長(2014- ) ティム・ボイド(英語版)(Tim Boyd 1953- )

この他に、ベサントとともに協会を主導しブラヴァツキーの教義に多くの修正を加えたが、児童虐待疑惑(少年たちに自慰強制[38])で一線を逐われたチャールズ・ウェブスター・レッドビータ(英語版)(1858??1934年、霊視能力を身につけたとされる)、ジョージ・アルンデールの妻で、バレエに範をとってインド古典舞踊の改革に力を注いだルクミニー・デーヴィー・アルンデール(英語版)(1904?86)などの有力者がいた[13]。

 

日本における神智学

類似宗教学者(自称)の吉永進一は、日本の霊性文化における神智学の重要度はアメリカに比べると低く、明治期から紹介されたにもかかわらず、常に忘却されていたと述べている[39]。神智学協会の活動としては、明治22年にはオルコットが来日し、文献が翻訳され神智学ロッジが作られたが、評価は一部の仏教青年に限られ、仏教復興運動が軌道に乗ると、神智学は忘れられた[40]。明治40年代には、海軍機関学校の講師であったE・S・スティーブンソンというポイント・ロマ派の人物が逗子にロッジを開き、ブラヴァツキーの書籍を翻訳している[40]。大正期には、詩人・慶応大学英語教員のジェイムズ・カズンスが中心となり、アディヤール派のロッジ活動が行われ、大正9年に東京国際ロッジが開設された[40]。その後鈴木大拙夫妻が京都にうつると、このロッジは閉鎖された。大正13年には、鈴木ビアトリスが大谷大学、龍谷大学の教員を中心に大乗ロッジを発足させた。これにはアメリカのハリウッドにあるクロトナ神智学学院に滞在した宇津木二秀も参加し、京都での活動は宇津木と鈴木大拙夫妻が中心となって行われた[40]。ロッジ活動は低迷していたが、神智学の思想は大正時代以降、ある程度広まった[40]。

昭和期には、教育者・牧師・翻訳者であった三浦関造[41](1883年 - 1960年)が神智学に興味を持ち、精神療法家兼子尚積との出会いや見神体験を経て霊的な実践家として活動するようになった[42]。昭和5年にはアメリカに滞在し、サンディエゴのポイントロマの神智学協会で講演を行い、神智学の影響を受けたメタフィジカル教師たちと交流した[43]。神智学的なメシア論を展開し[43]、戦中はファシスト的オカルティストと提携していた[44]。昭和28年にスワーミー・ヨーガーナンダのヨーガ技法を集めた『幸福への招待』(東光書房、1953年)を著し、最晩年の7年間は神智学・ヨーガ教師として活動し、神智学ヨガ団体「竜王会」(綜合ヨガ団体竜王会[45])を結成した[46](ただし、竜王会発足後に三浦が紹介したのはヨーガーナンダのヨーガではなく、インドのヨーガは堕落しており、アリス・ベイリー、ポール・ブラントン、モーリス・ドーリルなどを学ぶことが重要であると主張する[47]一方、「いかがわしい誤謬だらけの西洋模倣ヨガの本を悉く捨ててしまいなさい」とも述べている)。三浦によって竜王文庫が設立され、機関誌『至上我の光』(昭和29年創刊)を刊行し、三浦の生前には自著や神智学、ヨガの書籍が10冊ほど出版された。当時は冷戦時代であり、三浦は終末思想を展開したドーリルの教説に特に傾倒し、ブラヴァツキーの霊的進化論、新時代の到来と終末思想、マスター(マハトマ)と彼らが住むシャンバラの存在、救世主の待望、地球空洞説、ユダヤ人陰謀説などを背景に、自身の神格化を強め、竜王会は一種の宗教団体に近くなっていった[48]。昭和35年に三浦が死去したため、竜王会の終末思想は激化することはなかった[49]。会長職は娘の田中恵美子が継いだ[50]。竜王文庫は三浦の著作などを刊行し続け、1970年代まで神智学思想の数少ない供給源であった[44]。

1971年(昭和47年)に、竜王会の内部部門として神智学協会日本支部である「神智学協会ニッポン・ロッジ」が作られ、田中恵美子が初代会長となった。田中恵美子が1995年に没した後、1996年から2003年まではジェフ・クラークが第2代会長を務めた。神智学ニッポン・ロッジは、2003年に竜王会と分かれ、インドのアディヤールに国際本部がある神智学協会(神智学協会アディヤール)直属となった。杉本良夫は、近年はあまりめだった活動は行っていないようであると述べている[13]。

 

註[編集]

^ 宗教団体と言われることもある[1]。神智学協会は「真理に勝る宗教はない」という超宗教的なスローガンを掲げるなど、自らを宗教団体とみなしていないふしがあり[2]、協会にはいかなるドグマ(教条)もないとして[3]、会員に特定の教義を押し付けることはないと主張している[4]。

^ ここではブラヴァツキーら神智学協会に始まる思想を指し、それ以前からあるキリスト教神智学とは異なる。秘教史家グドリック=クラークは、ヤーコプ・ベーメらのキリスト教神智学 (Christian theosophy) と区別して、頭大文字の〈神智学〉 (Theosophy) あるいは〈近代神智学〉 (Modern Theosophy) という用語を使用している[5]。とはいえ、アントワーヌ・フェーヴルはキリスト教神智学の影響を受けた20世紀の思想家たちの名を挙げており[6]、近現代にキリスト教神智学の命脈が絶たれていたとは必ずしも言えない。

^ 特に、第2代会長アニー・ベサントは1910-20年代に民族主義勢力と連携してインド独立運動に尽力した[8]。

^ 出典は2010年に発表された論文であるが、この情報がいつの時点のものかは明記されていない。

^ 神智学協会ニッポン・ロッジの日本語訳2種類。タイトル・ページにかかげられている翻訳、入会案内のページの翻訳の順で記す。

^ 文化人類学者の杉本良夫は次のように指摘している。「『比較 comparative』が、この訳のように哲学、科学までかかるのか、宗教だけにかかるのかについては大きな問題をはらんでいる。科学史的には、1896年時点で比較哲学、比較科学という概念はありえないようであるが、協会自体も明確ではないようである。」[16]

^ オルコットの興味はのちに神智学から仏教に移った。

^ 医学校の教授や編集者をしながら、イアンブリコスの『エジプト人の秘儀について』の翻訳や、『新プラトン主義と錬金術』など多くの哲学論文を物した。ブラヴァツキーの主著『ヴェールを剥がれたイシス』の序文「ヴェールの前で」の多くの部分はかれに負っている[19]。

^ 後にA・P・シネットはブラヴァツキーとは距離を置くようになるが、霊媒を使ってマハトマとの通信を継続しようとした[23]。

^ インド思想史家の山下博司による表記[24]。

^ ティングリー没後はパサデナに移転[30](神智学協会パサディナ)。

^ 先のリチャード・ホジソンによる調査の折、アディヤール本部の責任者を務めていた[32]。

 

出典

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参考文献

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2012年3月)

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横山茂雄 「影の水脈」『聖別された肉体 - オカルト人種論とナチズム』 書肆風の薔薇、1990年。

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関連文献

H.P.ブラヴァツキー 『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論 上』 田中恵美子、ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、1989年。ISBN 4-89741-317-6。

H.P.ブラヴァツキー 『神智学の鍵』 田中恵美子訳、神智学協会ニッポンロッジ〈神智学叢書〉、1987年。全国書誌番号:87023321。OCLC 144086366。

『聖典沈黙の声』 三浦関造訳訳、竜王文庫、1962年、改訂版。全国書誌番号:63010536。OCLC 674383420。

H.P.ブラヴァツキー 『ベールをとったイシス 第1巻』 ボリス・デ・ジルコフ、老松克博訳、竜王文庫〈神智学叢書〉、2010年。ISBN 978-4-89741-600-7。

H.P.ブラヴァッキー 『実践的オカルティズム』 田中恵美子訳、竜王文庫、1988年、改訂2版。ISBN 4-89741-318-4。

H.P.ブラヴァツキー 『夢魔物語』 竜王文庫。

H.P.ブラヴァツキー 『インド幻想紀行 上』 加藤大典訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2003年。ISBN 4-480-08754-0。

H.P.ブラヴァツキー 『インド幻想紀行 下』 加藤大典訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2003年。ISBN 4-480-08755-9。

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー 『ブラヴァツキーのことば365日』 ウィニーフレッド・パーレィ、山口多一訳、アルテ/星雲社、2009年。ISBN 978-4-434-13599-6。

ハワード・マーフェット 『近代オカルティズムの母H・P・ブラヴァツキー夫人』 田中恵美子訳、神智学協会ニッポンロッジ〈神智学叢書〉、1981年。ISBN 4-89741-308-7。

心霊主義(しんれいしゅぎ)は、スピリチュアリズム(英:Spiritualism)、スピリティズム(英:spiritism)[1]の和訳のひとつで、人は肉体と霊魂からなり、肉体が消滅しても霊魂は存在し、現世の人間が死者の霊(霊魂)と交信できるとする思想、信仰、人生哲学、実践である。Spiritualismは心霊術、交霊術、心霊論、降神説[2]などとも訳される。
心霊主義は英: spiritualism(スピリチュアリズム)の日本語訳のひとつであるが、「唯心論」「精神主義」とも訳されるため注意が必要である。唯心論は、精神の独立した存在と優位を説く学説[3]であり、哲学においては、心霊主義(心霊論)は唯心論に含まれる[4]。

 

概要
霊魂の死後存続や死者との交流という信仰は世界中に見られるが、心霊主義(スピリチュアリズム)という言葉は、19世紀半ばにアメリカで始まったものを指すことが多く、死後の世界との交信や超能力のパフォーマンスを焦点とする「宗教運動」とも理解される[5]。霊魂との交信は交霊会(降霊会)と呼ばれ、霊媒が仲立ちとなることが多い。近代の心霊主義は19世紀後半に全盛期を迎えた[6][7]。
世界中をめぐって1920年代(大正9年頃)に日本にも到達しており[8]、日本の新宗教への影響も大きい。この時伝わった交霊術のひとつテーブル・ターニング(英語版)がアレンジされ、コックリさんとして広まった。日本語の守護霊、地縛霊といった言葉・概念も新しいもので、ヨーロッパの心霊主義に由来するといわれる。
日本では、浅野和三郎(1874年 - 1937年)が心霊科学研究会(1923年)を設立し日本神霊主義(日本スピリチュアリズム)を生み、欧米の心霊研究が日本へ本格的に紹介され始めた。イギリスで心霊主義を学んだ江原啓之(1964 - )が、心霊主義に現代のセラピー文化を取り入れて現代風にアレンジし、スピリチュアルという言葉を用いた[5]。江原は2000年代初頭メディアの寵児となって「スピリチュアル・ブーム」が起こったため、現代の日本では、スピリチュアルという言葉は心霊主義を含むものとしても普及している[5]。なお、心霊主義(スピリチュアリズム)は、霊性や宗教性、精神性、精神世界[9]と訳される「スピリチュアリティ」とは異なる概念である。しかし、日本では心霊主義同様、スピリチュアリティもスピリチュアルと呼ばれることがある[5]。
近代の心霊主義は死者との交流から始まったが、交霊会、骨相学、近代神智学とそのすそ野は広がり、科学者や思想家の支持を得ながら時代の精神へと成長し、やがて社会改革運動として発展した[10]。世紀末から第一次世界大戦までのモダニズムを生み出した精神的温床のひとつであるが、その中では異彩を放っており、文化史・思想史においては主流となったことがなく、周辺的なテーマとして扱われてきた[10]。1848年にアメリカ合衆国で起こったハイズヴィル事件によって大きな流れとなり、最盛期には欧米で800万人以上の支持者がいたと言われる[11]。社会に広く受けいられ、多数の人が真実であると信じ、当時の代表的な科学者たちの調査対象になっていた[10]。20世紀に入る頃には現象としてはほぼ終焉したが、20世紀後半においても影響を与え続けている[10]。
17世紀の近代自然科学、18世紀の啓蒙主義、19世紀の通信手段の発達、キリスト教の権威の低下、科学・テクノロジーの発達、消費社会の始まり、産業革命以後の急速な文明化の影響による宗教的・精神的枯渇状態、南北戦争や伝染病の流行よるアメリカ人の短命化[12]といった状況のもとで、教会や聖職者に代わり、親しい人の死の悲しみや自分自身の死への不安という根本的な悩みに応えるものとして支持を集めた[10]。当時から、交霊会(降霊会)や霊によるとされた現象に数々のトリックが用いられていることは認識されていたが、それでも存続したのはこのためである。
心霊主義は、個人としての人間の完成と幸福を目指す近代の「自己宗教」としてしての側面を持ち、建設的で明るい社会改革運動でもあり[10]、奴隷制度廃止運動や女性参政権獲得の運動とも関わりがある[6]。理想社会(世俗的千年王国)をこの世に実現しようとする点において、ユートピア運動[12]、社会主義(空想的社会主義)との関係も深い[10]、社会精神史的には、当時科学として大きな影響力があった骨相学とメスメリズム(ヒプノティズム、催眠術)、この両者が融合した新しい精神科学・骨相メスメリズム[13]に直接つながる[10]。近代神智学の創始者ヘレナ・P・ブラヴァツキーはもともと心霊主義の霊媒であり、互いの影響は深く、近代神智学はイェイツの詩作やカンディンスキーらのモダニズム絵画への影響も大きかった[10]。また19世紀後半には、心霊主義の心理学化という流れが起こった。心理学者ユングの出発点には心霊主義があり、この流れは深層心理学につながる[10]。
心霊主義は、現在では主に、ヨーロッパ大陸とラテンアメリカで見られ、特にブラジルで盛んである。19世紀半ばにフランス人アラン・カルデックが体系化し、輪廻転生と霊魂の進化を教義に取り入れた心霊主義の一派カルデシズム[14]はブラジルに伝えられ、モーセ、キリストに次ぐ第三の啓示として受け入れられた。20世紀初頭には、ブラジルは世界に冠たる心霊主義(エスピリティズモ(ポルトガル語版)[15])の国になった[16]。現在ブラジルのカルデシズムの影響力は、その思想が生まれたフランスをはるかにしのいでいる[16]。

 

起源と背景
近代の心霊主義は、1848年にアメリカ合衆国で起こったハイズヴィル事件によって大きな潮流になったが、それ以前に心霊主義を準備する様々な要因があった。心霊主義の背景について述べる。

 

西洋哲学
心霊主義は、人間の「死後存続」を信じる思想である。17世紀末の哲学者ゴットフリート・ライプニッツ(1646年 - 1716年)は、彼の基本的理念によって死後存続についてひとつの完璧な教理を築いた[2]。心霊主義の理論のベースには、ライプニッツのモナド(単子)論があるのである。ライプニッツは、宇宙は不滅の心霊的原子である「霊魂」(モナド)の無数から成り立っており、それぞれのモナドの完全さの程度は異なり、より完全な状態に向かって発展しようとする傾向を持っていると考えた[2]。生物のような複合体はモナドの集合体であり、霊魂である主要モナドの支配を受けている。そして、ある状態から他の状態への「飛躍」は自然的ではなく、生と死も連続したものだと考えた[2]。また、霊魂は神の似姿であり、人間の霊魂は他の星でより完全な意識を持って存続すると信じられるとした。ただし、宇宙および神は無限であるから、認識(意識)は完成することはない。そして幸福とは、新しい喜びと新しい完全に向かう「絶えざる進歩」の内にあると考えた[2]。
哲学者シャルル・ボネ(1720年 - 1793年)は、自らの生物学に基づいてライプニッツの思想を発展させ、生物は目に見えず不滅な「原状回復の芽」を内蔵しており、その芽は順次成長し顕現するが、これは肉体の死ののちも同様であるとした。人間は肉体の死後、宇宙の新しい事態に適応した新しい生存に再生できると考えた(「転生」(パリンゲネシア)の説)[2]。
哲学者イマヌエル・カント(1724年 - 1804年)は死後の世界の性質ではなく、その真理を「証明する」可能性について見解を示した[2]。カントは、合理的形而上学は死後存続の問題になんら根拠のあることを教えないが、我々は知的ではなく道徳的直観によって、先天的に定められた「無条件命令」を自らの中に見出すと述べている。その道徳律を最もよく規定する原理は、「自分の意志と行動とをあらゆる理性的な人間のそれと一致させることに努める」ことである。カントはその理性相互間の調和を「目的の王国」と呼んだが、完成はこの世では不可能に感じられ、経験的にも不可能である[2]。完成には我々の限りない存続による限りない人格の進展しかなく、従って霊魂は不死でなければならないとした[2]。
19世紀は全体として、不死と進歩との考えを結び付けるカントの根本的立場を受けついだ。カントを受けついだ死後存続の解釈は、大きく二つに分けられる。ひとつは、カントおよびライプニッツの真正の思想を忠実に守り、生前の人格が死後も引き継がれる、人格的死後存続という形で考える一派である。もうひとつは、カントをバールーフ・デ・スピノザ(1632年 - 1677年)の思想で補い、むしろ絶対精神を認め、それの発展が個々の存在者を貫き、かつ個々の存在者によって徐々に完成されるとする態度である[2]。後者の立場は、「永遠なる人類」という純粋に此世的な不死思想に結びついた[2]。レーノーの『地と天』(1854年)では、人間の生は、天体から天体へと移り、以前の過失を償う生涯の連続であり、完成することのない試練と罰と完成への進展である。霊魂は段々と向上し、その歩みは神聖な計画と、世界と世界の調和の機能に従うものであるとした[2]。
初期の社会学者フランソワ・マリー・シャルル・フーリエ(1772年 - 1837年)は、著作『家庭と農業の組合』(1822年)収録の「宇宙開闢説」などで、天体は道徳や知性を持つ、霊魂ある一個の生物であり、そこに生きるものは天体には劣るが永遠の霊魂を持っていると述べている。個体が死ぬと霊魂は隣の空間(あの世)に移り、それから元の天体の住民に生まれ変わって戻ってくるという往復を81000年の間に810回繰り返し、合計1620回の生涯があると計算した[2]。うち27000年は地球で、54000年はあの世で暮らすことになる。フーリエは、個人はその多くの生涯の間にだんだんと向上すると考えた。地球が死滅すると、地球の霊魂はそこに生きる霊魂を連れて新しい天体に移り、個々の霊魂は個性を失って天体の霊魂に溶け込むという[2]。この壮大な上昇過程が最終的にどうなるかは述べられていない。

 

スヴェーデンボリ
心霊主義に影響を与えた人物として、スウェーデン出身の科学者・神学者・神秘主義思想家エマヌエル・スヴェーデンボリ(1688 - 1772)が挙げられる。霊界を見聞し記録したことで知られ、霊能力を発揮したという事例も残されている。一流の自然科学者であったが、科学の経験的認識の限界を自覚し、様々なビジョンを見るようになり、視霊者として聖書の霊的研究を行った。霊魂の独立存在、死後存続を信じ、自ら天使や霊と語り、霊界を見聞し、天界、地界、霊界などについて詳しく記述し、その著作は啓蒙時代のヨーロッパに大きな影響を与えた。日本女子大学の新見肇子は、彼の著作が文学的想像力の産物ではないこと、近代科学において相当の業績を残した人物によるものであることは重要であると指摘している[17]。サン・シモン、シャルル・フーリエなどのユートピア主義者(初期の社会主義者)は、スヴェーデンボリが描写した天界の様子に強い影響を受けて「地上の楽園」としてのユートピアを思い描き、自らの世界観と教説を形成したと言われている[18]。

 

メスメル
フランツ・アントン・メスメル(1734 - 1815)は、フランスのパリで動物磁気催眠治療法(動物磁気療法、メスメリズム)によって一大センセーションを巻き起こしたオーストリアの医師である。動物磁気催眠治療法は、のちに催眠術となった。18世紀のヨーロッパでは、「岩石磁気」、「宇宙磁気」、「惑星磁気」という3種類の磁気力が存在すると考えられていた[19]。メスメルは、これらの他に、人間や動物の体を動かす4つ目の磁気力があると考え、「動物磁気」(animal magnetism) と呼んだ。この名称は、animal の語源であるラテン語の animus(アニムス)に由来する。animus は、英語で breath(「生命、呼気」)を意味し、メスメルは「生命、呼気」を持つすべての生き物は「動物磁気」の力を持つと考え[19]、動物磁気は磁気を帯びた流体であり、電気や引力のような物理的な力であるとした[10]。
メスメルは動物磁気の不均衡によって病気になると考え、これを操作して病気を治療しようと試みた[19]。当時は、原始的な精神療法が次第に精神分析に変わっていき、信仰治療がキリスト教科学に合流し、古代の迷信が心霊主義や超心理学と融合するあたりに位置していた[19]。動物磁気は、ヨーロッパの自然魔術の文脈につながるものであり、魔術的な仮想実体と物理的な実体の両方の要素を併せ持つものである[10]。メスメルは動物磁気催眠治療法で多くの患者を治療し、パリの世論は、メスメルを偉大な医師・科学者と見るものと、動物磁気は疑似科学であり、彼はいかさま医師であると考える者に二分された。1784年の科学アカデミーの調査で、動物磁気が存在する証拠はないとの結論に達し、この療法は下火となったが、催眠研究の端緒となった[19]。19世紀には、メスメリズム(動物磁気説)によって、すでに人間の無意識の現象が発見されていたのである[20]。メスメリズムまたは催眠術でトランス状態となった被験者が見せる超常現象は、のちの心霊主義で霊媒が演じる心霊現象に似た点も多い[10]。
メスメリズムは1843年頃に、人間の性格や能力は脳の器官に基づいており、頭蓋の形状からそれを判断できるという骨相学と合体して「骨相メスメリズム」となり、心霊主義と融合した[10]。骨相学は現在では疑似科学であるが、当時は真正の科学であった。
スヴェーデンボリとメスメルを合体させた心霊主義者として、アメリカのアンドリュー・ジャクソン・デイヴィス(1826 - 1910)がいる。1847年にメスメリズムの実験を通して体験した出来事をまとめ、『自然の原理、その神的啓示、人類への声』として出版した。この本はスヴェーデンボリの霊界思想とフーリエの社会主義が混在するもので、ハイズヴィル事件前に出版された本であるが、アメリカ心霊主義の最初の理論的著作と言われる[10]。

キリスト教新宗派と千年王国思想

 

心霊主義は、1840年代のニューヨーク州西部「焼き尽くされた地域(英語版)」[21]と呼ばれた場所で見られた[12]。この地は、エリー運河開通に伴う人口移動によりキリスト教の信仰復興運動、いわゆる第二の覚醒、第二次大覚醒の影響を強く受けた土地である。ミラー派(英語版)やモルモン教、ユートピア的生活共同体を形成し、従来の社会制度に疑問をもち独身主義をとったシェイカー (キリスト教)(英語版)、イギリスでシェイカーの母体となりその多くがニューヨークに移住したクエーカーといったキリスト教の新しい宗派が栄え、それらの多くが千年王国思想を持っていたと言われている[12]。千年王国思想とは、かいつまんで言うとイエス・キリストがもう一度復活し、それからの千年間人々が幸福に生きる世界が実現する(千年王国が到来する)という信仰で、これは新約聖書「ヨハネの黙示録」第20章に基づくものである[12]。
なお、千年王国思想は「終末論」(eschatology)から生まれたため、両者のつながりは大きい。「ヨハネの黙示録」では、旧来の時(アイオーン)が終了する前に、救世主(メシア)に対するサターン(あるいは終わりの日の反キリスト)の最後の闘いが挑まれ、その戦いの後に新アイオーンを意味する千年王国がくるとされた[22]。

19世紀前半に千年王国思想を信仰した人々は、千年王国がこの世に現れるまでに現世をできるだけ改革しておくことが、千年王国を待つ人間の義務だと考えた[12]。そのため、千年王国思想を信じる様々な人々は、社会矛盾の克服を目指して奴隷制廃止や女性の地位向上などの社会改革思想を共有し活動を行った[12]。千年王国思想を持っていたのは、ユートピア的生活共同体を形成したグループ[23]や心霊主義者(スピリチュアリスト)であった。ユートピア的生活共同体のメンバーが同時に心霊主義を信仰していたり、また、千年王国思想を持つキリスト教の宗派に属する人が心霊主義も信仰するということがあった[12]。
ニューヨークの新宗派では、神(聖霊)や天使と直接コミュニケーションが可能であると考えられていた。またカトリックでは洗礼を受ける前に死んだ幼児は地獄(辺獄)に落ちるとされたが、新宗派では神はこのような残酷な振る舞いをすることはないと考えられていた[24]。 シェイカーのニスクユナ共同体では、ハイズヴィル事件の10年ほど前の1837年に、心霊主義に類する現象が起きている。集会の踊りの最中に少女たちが気を失って倒れ、回復してから天使と語り合った、天上の世界を旅したと語った[25]。この現象は大人にまで広がり、シェイカーの始祖アン・リーの霊と交信する「道具」(心霊主義の霊媒に当たる)という役割ができ、アン・リーだけでなく、亡きシェイカーの指導者たちの霊と「道具」を介して交流するようになった[25]。この事象は10年ほど続き、ハイズヴィル事件と前後して終わった。

 

心霊ブームという契機
ハイズヴィル事件

心霊主義(スピリチュアリズム)、心霊ブームは、1848年のフォックス姉妹によるハイズヴィル事件[26]が大きな契機となった。この事件の当事者フォックス姉妹の姉マーガレットは、40年後にこの事件はインチキであり、ラップ音は膝関節を脱臼させて出していたと告白しているが[27]、告白当時マーガレットは金銭的に困窮しており、更にのちにインチキという告白自体を否定している。事件の真実については様々な見解があるが[28]、当時社会的な影響が絶大であったことに疑いはない。

知られている事件の内容は次の通りである。ニューヨーク郊外ハイズヴィルに、メソジストの農夫ジョン・フォックス(John Fox)一家が引っ越してきた。間もなくフォックス家の姉妹マーガレット(Margaret、15歳)とケイト(Kate、12歳)は、家で原因不明の不思議な物音(ラップ音、叩音)がするというポルターガイスト現象を体験した。母親が子どもの年齢などを質問すると、ラップ音によって回答があり、ラップ音は死者の霊の仕業であり、姉妹は音によって霊と交信できるようになったとされている。名古屋大学の吉村正和は、ハイズヴィル事件での音による霊との交信は、その数年前の電信機の発明と普及による、「情報が瞬時に遠方に伝わる」という衝撃的体験の影響があり、電信技術の発想を精神世界に応用したものであると指摘している[10]。死者との交信がコツコツ・トントンというモールス信号のような音で行われたことがそうした事情を物語っているという[10]。
この事件の噂は広まり、心配した両親はケイトをニューヨーク州オーバーンに、マーガレットを結婚してロチェスターに住む一番上の姉リア(Leah、20代半ば)に預けた[12]。リアはロチェスターで音楽教室を経営していたが、妹たちの心霊現象の噂で生徒を失ったため、マーガレットを霊媒として交霊会を行うようになり、マーガレットが起こす心霊現象を調査する委員会を組織した[12]。姉のリアによるマネージメントでマーガレットは霊媒として活躍し、やがてニューヨーク市の見世物興行で当時有名だったバーナム・ミュージアム(Barnum’s American Museum)でも交霊会・心霊現象の興行を行なうようなった[12]。ペテンだと抗議する声も大きかったが、大成功に終わり、むしろ抗議が宣伝の役割を果たし、霊との交信という奇跡を信じる人は増加していった。高額の参加費が設定されていたにもかかわらず、交霊会にはあらゆる階級の人が押しかけた。フォックス姉妹はニューヨークに活動拠点を移し、2か月にわたって交霊会を開催し、霊媒としての地位を確立した。参加者は最近親しい人を亡くし悲しむ人などが多く、交霊会で実際に死者との心の交流を体験し、死を次の生への通過点と見なすことで、心の慰めを得ていた[10]。
吉村正和は、姉妹は現代における精神分析のカウンセラーのような機能を果たしていたと述べている[10]。なお、ハイズヴィル事件においてフォックス姉妹をサポートしたのは、奴隷制廃止運動で活躍している急進派クエーカーの夫婦だった。キリスト教の新興宗派と心霊主義は、千年王国思想、ユートピア思想という思想的共通点によって結びついていたのである[12]。
霊との交信方法も、ラップ音からアルファベットを使用する方法、トランス状態での自動筆記、楽器がなったり机が動いたり、霊そのものが現れ(物質化現象)参加者の髪をひっぱるなど、交霊会での心霊現象もエスカレートしていった[27]。

ハイズヴィル事件以降

フォックス姉妹以外の霊媒も登場し、あっという間に全米を心霊ブームが席巻した[27]。心霊主義は難解な教義を持たず、誰にでも参加することができた。1855年にはアメリカだけでおよそ100万人が心霊主義を受け入れており、貴族や企業家などの上・中流階級、作家や科学者などの知識人といった社会的エリートも多く含まれていた[28]。
1840年代には大西洋を横断する巨大蒸気船が運航し、アメリカの情報はほぼ同時にヨーロッパにもたらされ、人の交流もそれまでとは比べ物にならないほど盛んになった[10]。アメリカの霊媒が続々とヨーロッパに渡っていき、霊媒による交霊会や心霊現象という心霊ブームは、ヨーロッパにも広がっていった[10]。
中でもイギリスでは、階級を問わず広く社会現象となった。心霊主義の流行は、完成された共同体、世俗的千年王国の到来を告げるものとしても受け入れられた。イギリスの社会改革家でユートピア的共同体を作ったロバート・オウエン(1771 - 1858)は、伝統宗教が自分の宗教以外の人々への偏見を育てると考え全ての宗教を否定したが、1853年に心霊主義に帰依した[10]。オウエンは、友人でフリーメイソンの指導者であったケント公エドワードやジェファーソン大統領の霊との交流で、社会改革に関する重要な指針を得たと語り、心霊を「長い間待ち望んでいた千年王国の先触れ」と見なしていた[10]。その息子で駐ナポリ公使であったロバート・ディル・オウエンは、霊のメッセージが現れる自動筆記を体験して、1860年に『別世界の境界の足音』を出版、英米で心霊主義を単なる流行ではなく思想として浸透させた[10]。1871年の著作では、心霊主義を偽りのない真の現象であると主張しており、心霊主義はこの時点で、社会的身分の高い人物によって一種のお墨付きを得たことになる[10]。
心霊主義はイギリスからフランスにも飛び火した。南米にも伝わり、1853年のブラジルのリオデジャネイロの新聞に心霊主義の記事が掲載され、翌月には市内の富裕層が娯楽として楽しむようになった[29]。
こうした19世紀半ばから19世紀末の心霊ブーム、その思想と実践およびその周辺は、心霊主義(スピリチュアリズム)のはじまりとなり、今世紀にかけて世界的に大きな影響力を持った[27]。

 

心霊主義の展開

心霊現象研究と心理学

心霊主義は、心霊現象研究協会を通して心理学という学問へ向かった。心霊主義の科学的調査は1860年代から行われていたが、ヴィクトリア時代の体制側の科学者の多くは、懐疑的な姿勢を取っていた[10]。

1858年にダーウィンの『種の起源』が発表され、後に心霊現象研究協会の初代会長となる哲学者・倫理学者のヘンリー・シジウィックらは衝撃を受けていた。シジウィックは宗教と科学の調和という問題の鍵を心霊主義に求め、牧師の子であった詩人・古典研究者フレデリック・マイヤーズもまた、ヴィクトリア時代の懐疑論のもとで、信仰と理性を和解させることができず信仰の根拠を失い、死によって霊魂が消滅するかどうかという不安に苛まれていた。1871年、マイヤーズはシジウィックに「伝説・直観・形而上学が宇宙の謎を解きえないのに、幽霊や心霊などのように実際に観察することのできる事象を通して、『見えざる世界』について何か確実な知識は得られるのでしょうか」と尋ねた。シジウィックはその可能性があると応え、マイヤーズの30年におよぶ心霊研究が始まることとなった[10]。イギリスの伝統である経験論の手法によって、心霊主義という超常現象を解明し、霊魂の死後存続を証明し、新しい信仰のあり方を見出そうとしたのである。
1880年代に、心霊現象研究を行う最初の学術団体として心霊現象研究協会が設立され、心霊主義は初めて「科学」的方法論に基づく調査の対象になった。物理学者ウィリアム・フレッチャー・バレットの提案で設立され、ヴィクトリア時代を代表する学者で、ケンブリッジ大学の教授であったヘンリー・シジウィックが初代会長に選ばれ、彼と二人の弟子フレデリック・マイヤーズとエドマンド・ガーニーが中心に活動した[10]。シジウィックが中心となったことで協会の社会的信用が得られ、各界から名士が参加した。アーサー・バルフォアなど名門バルフォア家の人々、ウィリアム・ベイトソン(生物学者)、ルイス・キャロル(数学者)、ジョン・ラスキン(作家)、オリバー・ロッジ(物理学者)、コナン・ドイル(作家)、タリウムを発見したことで知られるウィリアム・クルックス、世界的物理学者オリバー・ロッジ、ノーベル生理学・物理学賞を受賞したシャルル・ロベール・リシェ (エクトプラズムの命名者)などの学者・作家たち、ウィリアム・ステイントン・モーゼス(霊媒)、エドモンド・ロジャーズ(英語版)(「ライト」編集者)、フランク・ポドモア(フェビアン協会の創設者)なども加わり、19世紀末イギリスで代表的な知識人・文化人が集まる学会のひとつになったのである[10]。

カール・グスタフ・ユング
心霊現象研究協会では、テレパシー、ヒプノティズム(メスメリズムによるトランス現象であり、透視を含む)、ライヘンバッハのオドの力、幽霊現象、物理的心霊現象などであり、特に識閾下の部分(潜在意識・無意識)でのコミュニケーションと関係があると考えられたテレパシーが中心的課題であった。マイヤーズは、潜在意識とテレパシーによって心霊現象を説明しようとし、宗教や芸術に関しても同様のアプローチを行った[10]。
心理学者カール・グスタフ・ユングの研究も、出発点には心霊主義があり、1902年に『心霊現象の心理と病理』を出版した。ユングはマイヤーズと同じように、プライベートでは交霊会に出席して死者との交流を試み、仕事の上ではその体験と分析を心理学的に行った[10]。ユングの研究は深層心理学へと結実したが、彼の思想の核心部分には近代神智学との共通点も多い[10]。

 

カルデックの心霊主義

心霊主義から派生したものに、フランス人イポリット=レオン=ドゥニザール・リヴァイユ(1804年 - 1869年)、筆名アラン・カルデックの名で知られる人物によるスピリティスム(仏:Spiritisme、スピリティズム(英:Spiritism)[30]、カルデシズム、カルデシズモ(葡:Kardecismo)、エスピリティズモ(葡:Espiritismo)。以下カルデシズムとする)がある。カルデックは私塾で教育学、哲学、医学を教えていたといわれる[29]。彼は社会主義思想家フーリエに影響を受けたが、彼からは当時流行していたテーブル・ターニング(英語版)も学んだという[29]。これが心霊主義と接するきっかけになった。当時のフランス社会では社会主義者らが影響力をもつようになっていたが、その一部は社会的不平等を理解するための説明として輪廻転生を受け入れていた[29]。またカルデックは、動物磁気療法を提唱したフランツ・アントン・メスメルからも大きな影響を受けている。
カルデックは1856年に交霊会で霊媒から「今、真実であり、偉大で美しく、創造主に相応しい宗教が必要とされている。基礎的な教えは既に与えられている。リヴァイユ、汝に(その宗教を伝える)任務がある。」という啓示を受けた[29]。カルデックは、『新約聖書』では、イエスは別の慰安者である「真理の霊」の出現を約束しており、それがカルデックだとし、イエスの隠されたメッセージを理解するために、心霊主義と科学を取り入れた新しいキリスト教を構築しようとした[29]。従来のキリスト教は不完全だと考え、「人びとが真理を理解することができるレベルに到達したので、キリストの教えを補完するために心霊主義が現れた。」と述べている[29]。
カルデックは、進化の原理が救済の本当の意味を復権する鍵になると考えた[31]。「復活」とは死者が肉体を持って生き返ることだが、科学は物質が再生することが不可能であると証明している。輪廻転生とは、霊が肉体をもつようになることであるであり、「復活」とは輪廻転生であり、イエスの教えを完全なものにするのが輪廻転生の教えだとした[31]。輪廻転生は、罪の償いと進歩のためにある。進化によって霊が最終的に救済されると、「天界あるいは神聖な世界」に到達するとされた[31]。肉体は霊の監獄か檻のようなもので、肉体から解放された霊は本来の自由を獲得できると考えた[31]。カルデシズムの教えでは、霊は進化しても信仰がある限り退化することはなく、現在より劣位の世界に落ちることはないされたため、カトリックの地獄や煉獄への恐怖心から解放されるという利点があった。信者たちは、カルデシズムはキリスト教であり、モーセ、キリストに継ぐ「第三の啓示」だと考えているが、カトリックはカルデックの教えを非難していた。現在のブラジルでも同様の傾向がある[29]。
スピリティズムの聖典『霊の書』(聖霊の書)は 1857 年に著された[29]。これはカルデックの質問に数人の霊が答えるという形式で書かれている。カルデシズムは、過去の数々の教えの集大成で、人間ではなく、天の声を伝える諸霊によって明らかにされたものであり[29]、彼が信頼できると判断した複数の霊媒による交信を比較検討してまとめたものであるという。カルデックの著作は主にラテン諸国で読まれベストセラーとなった。カルデシズムは、とくにブラジルにおいて、カルデシズモの名で広く支持されている。その信望者はブラジルにおいて150万人以上にもなる[32]。

カルデシズムは、世界は超越的な神によって統御されるいくつかの小世界からなっており、進化と因果律に支配されているという[31]。従来の欧米系の心霊主義と異なり、「輪廻転生」の教義を持つ点に大きな特徴がある。人間の霊魂は輪廻転生を繰り返しながら霊界を進化するとされ、霊も同じ法則に従い、与えられた自由意志によって輪廻転生しながら高等な霊へと進化していく。カルデシズムではこれを「霊の進化」と呼ぶ。霊の進化と霊媒による霊との交流を根本的な宗教的実践とする[33]。また、霊には下級から上級までのヒエラルキーがあり、そのレベルを上げる「霊の進化」が信じられている[33]。神から自由意思を与えられた霊は、過ちという「負債」を作り、これが苦しみの原因であると考えられている[16][34]。霊のレベルは過去世と今世での善行で決定され[33]、慈善活動は善行の根本的なものである。慈善活動は、自らの霊としてのレベルを上げ、過去あるいは過去世の負債を支払い、また神から徳分(メレシメント)が与えられる救済に至る方法のひとつである[35]。
ブラジルのカルデシズムは中間層と低所得者層に広まっているが、前者は教会での活動に熱心であり、後者が教会の慈善活動を受益する形となっている[35]。自然と超自然、科学と宗教を分けず、信者は自らの行いを科学的・哲学的実践と考えている[33]。また、カルデシズムの宗教施設では、霊媒に自身の苦難について相談するコンスウタ(診察)を受けることができる[35]。相談者は必ずしも信者であるとは限らず、相談料は無料である[35]。診断で苦難の原因が明らかにされ、霊が関わっている場合とそうでない場合とに分けられるが、たいていの苦難は霊の障りによると考えられている[35]。霊が原因の場合、相談者は霊媒の手かざしによる霊的治療(パッセ)を受け、教理の勉強会に参加し、慈善活動をすることで苦難が除かれるとされる[35]。こうしたプロセスを経て、その中から信者が生まれる[35]。カルデシズムでは個人の意志は尊重されるべきものだとされ、救済されるか否かは当人の努力次第と考えられているため、コンスウタ(診察)で指示された活動への参加は自由である[35]。なお、霊の障りでない場合は、病院で標準治療を受けることになる[35]。教理の勉強会で読まれる本は、アラン・カルデックの『霊の書』、『霊媒師の書』、『エスピリティズモによる福音』であるが、ブラジルのカルデシズムの「法王」と呼ばれる霊媒シコ・シャビエール(ポルトガル語版)(1910年 - 2002年)の著作も好んで読まれている[35]。カルデシズムでは、人は潜在的に霊媒であり、訓練で霊能力を意識的にコントロールすることができるようになるとされるため、霊能力開発の勉強会も開催されている[35]。
ブラジルの宗教は、カトリック、カルデシズムの他に、アフリカのヨルバ族の信仰とカトリックが結びついたカンドンブレがある[32]。ラテンアメリカやカリブでは、心霊主義はエスピリティズモとよばれるが、近代心霊主義にアメリカ大陸の先住民やアフリカ人の祖先崇拝・トランスといった伝統が結びついて体系化されたもので、カルデシズムはこれに含まれる。20世紀前半にブラジルで生まれた、カンドンブレにカルデシズム、カトリック等を取り入れたアフリカ色の濃い心霊主義的習合宗教は、ウンバンダ(ポルトガル語版)と呼ばれ、これも広く信仰されている[32][36]。
日本からの移民が多いブラジルは、天理教、世界救世教といった日本の新宗教の布教が世界で一番成功している国である。カルデシズムとこれら日本の新宗教は教義の共通点が多く、ブラジルの人々に親しみやすかったが、これは偶然ではなく、共に近代心霊主義の影響を受けているためである[16]。

 

近代神智学

心霊主義の影響を受けたものに近代神智学があり、これは心霊主義の一種であるとされる。フリーメイソンや薔薇十字団、インドやエジプトの思想を取り入れ、古代の霊知を復興し真の霊性(オカルト能力)を養うこと、ドグマ化したキリスト教と唯物論化した自然科学の弊害を取り除くことを掲げ、科学の研究に耐えうる新しい宗教として登場した[10]。マクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(人間)との照応というヨーロッパの伝統思想が理論的基礎にあり、西洋と東洋の智の融合・統一を企図していたといえる[37]。創始者のヘレナ・P・ブラヴァツキー(1831年 ? 1891年)、通称ブラヴァツキー夫人は、1877年に『ヴェールを脱いだイシス神』を著した。もともと心霊主義の霊媒であったが、霊媒として活動した経験からか、心霊主義の単純な霊魂論に異議を唱え、心霊主義と交霊会を厳しく非難していた。霊媒が交信する霊は真我ではなく「アストラル体の殻」であり、ブッディ=アートマ(インド哲学の用語)と結びついて霊界に入った真我とは交信できないとした[10]。これにより心霊主義者は神智学協会から離反し、キリスト教を捨てきれない人たちも離れていった。
神智学協会は起死回生を狙ってインドに進出した。イギリスはインドで、土着の文化を尊重しながら先住民を内面から支配するという巧妙な政策をとり、『バガヴァッド・ギーター』の英訳なども行われていた。しかしキリスト教はその特殊性から他の宗教との融和ができないため、現地で軋轢を生んでいた。近代神智学はインド思想を教義の中核に取り込んでいたこともあり、ヴェーダを中心とする宗教改革運動「アーリヤ・サマージ」などから歓迎を受けた。インド人の神智学協会会員などの協力で、ヒンズー教や仏教の教えが取り入れられたが、理解には限界があり、カバラや新プラトン主義で補うという方法がとられた[10]。
近代神智学では、フリーメイソンやイギリス薔薇十字団から、古代から伝えられた霊知を選ばれた人間に伝える「未知の上位者」という発想を借用している。これは、ウィリアム・ステイントン・モーゼスの指導霊インペレーターを除くと、当時の心霊主義ではほとんど見られない発想である[10](ブラヴァツキーはモーゼスを例外的に高く評価していた。)近代神智学では「マハトマ」と呼ばれ、キリストもマハトマのひとりであるとされ、人格神も否定した[10]。この思想はキリスト教に衝撃を与え、近代神智学は宣教師の嫌悪の対象となった。
近代神智学は従来の心霊主義に代わって、新しい心霊学としてインド思想を取り入れ、西洋秘教伝統とインド思想のカルマの法則と再生の原理を取り入れた。高次の自我(真我、霊我)の覚醒を目的とし、人間の自我を高次と低次に分け、心霊主義を低次の自我に関わるものにすぎないとして退けた[10]。マハトマとの交信は霊媒たちによっても別に進められたが、これはのちのチャネリングと共通する発想である[10]。
1884年には、マハトマからの手紙(マハトマ書簡)が突然「聖容器」に現われたように見せるトリックが身内によって暴露され、ロンドンの心霊現象研究協会により調査が行われ、1885年にはブラヴァツキーは詐欺師・ペテン師であるとする報告が公表された。心霊現象研究協会の信頼は絶大であり、近代神智学の根幹であるマハトマの存在に疑問を呈したこともあり、衝撃は大きかった。ブラヴァツキーはこれを克服するために、第2の著作を執筆し、ロンドンに上級会員に奥義を教えるための秘教部門を開設した。詩人のイェイツは詩作の原理を探求するために秘教部門に属したが、目的を達することができず退会し、黄金の夜明け団に所属し魔術の観点から研究を行っている[10]。
近代神智学では、ダーウィンの進化論は人間の霊魂には適用できないと考えた(これはダーウィンと並ぶ進化論の最初の提唱者である科学者アルフレッド・ウォレスも同じであり、彼は心霊主義が霊的進化を傍証するものだと考えていた。)[10]ブラヴァツキーは進化論をカルマの法則と再生の原理で解釈し、最終局面として人間の霊的な完成を想定し、自助努力で神に近い存在に近づくことができる、つまり自分で自分を完成させ、救うことができると考えた。これは神が天地創造の際に人間を神の似姿として作ったという神話の逆であり、また人類は肉体を持たない霊的な存在(第一根源人種)であったが、徐々に退化して物質世界に埋没し、猿人になったとした[10]。近代神智学における霊的進化論は、ダーウィンの進化論の逆であるといえる[10]。
このように心霊主義は、近代神智学を経由してカルト的な自己宗教に変容していった[10]。

 

現代の心霊主義
英語圏においては、ウィリアム・ステイントン・モーゼス『モーゼスの霊訓』(1883年、インペラールという未知の上位者の霊によるメッセージとされる)、ウィリアム・トーマス・ステッド『ジュリアの音信』(1914年、亡き友人ジュリア・エイムスのメッセージとされる)、ジョージ・ヴェール・オーウェン(英語版)『ベールの彼方の生活』(1921年、オーウェンの母と友人たちや守護霊などによるメッセージとされる[38])、ジェラルディン・カミンズ『マイヤースの通信』(1932年、故フレデリック・マイヤーズのメッセージとされる)、グレース・クック『ホワイトイーグル』(初刊1937年、ホワイトイーグルと名乗る聖ヨハネの霊によるメッセージとされる)、モーリス・バーバネル『シルバーバーチの霊訓』(初刊1938年、シルバーバーチという未知の上位者の霊によるメッセージとされる)といった霊媒による霊との交信記録、いわゆる「霊界通信」が次々と出版された。これらを霊界からの重要なメッセージであると考える人々によって研究され、一部は日本語にも翻訳されている。日本の書店では「精神世界」の棚に置かれることが多い。
『シルバーバーチの霊訓』によると、死後の世界は階層的で、地球圏に近いほど、死後の環境が地上に似ている[39]。それが上の界に行くにしたがって、美しさと神々しさを増す[39]。さらに上の界では地上の言葉で表現することが困難になる[39]。心霊主義とは、こうした理解を人類へ促すために、高級霊が中心となって全霊界により計画された運動であるという[40]。
死者・未知の上位者から深遠な教えを得るという心霊主義の流れは、特別の能力を用いて霊的・精神的な世界と交流し、そのメッセージを一般人に伝えるチャネリング[41]に通じるものである。神智学の提唱者ブラヴァツキーは、叡智はチベット奥地にあるというシャンバラで受け継がれているとしたが、叡智はどこかに守り伝えられているというスタイルは、のちのオカルトに受けつがれた。見出されるべき真理のありかを宇宙の外だとする傾向が出てきたが、それ以外の神話的パターン、哲学的想定は同じであった[42]。
千年王国思想・UFO信仰(英語版)[43]の新宗教エーテリウス協会(英語版)など、宇宙人と交信し教えを受ける宗教が見られるようになっていった。1955年には、霊媒が自動書記で多数の地球外生命体、または高次の存在、天界の住人から自動書記によって与えられたメッセージ(イエス・キリストの教えの新しい解釈や啓示を含む)をまとめたという『ウランティアの書(英語版)』が出版された(この本は現在もUFO系新宗教の信者に熱く支持されている)[44][45]。UFO系新宗教も多数設立されたが、例えばエーテリウス協会は、1954年にジョージ・キング(1919年 -1997年)が、3500歳の異星人マスター・エーテリウスと交信したことから始まった[46]。UFO系の新宗教では、メッセージを伝える宇宙人は「天使のような存在」であり、「キリストやブッダなど過去の宗教家は異星人だった」ともいわれ、宇宙人は距離を問題としない別世界から飛来するともされる[46]。
キングによる瞑想状態(彼の場合はヨーガによる)・トランス状態でのコンタクト法は「チャネリング」と呼ばれ、アメリカで一種のブームになり、未知の上位者や太古の霊、宇宙の知的存在(宇宙人、宇宙存在)との交信はチャネリング、交信者はチャネラーと呼ばれるようになった[46]。チャネラーは心霊主義の霊媒に相当する。日本でも「精神世界」ブームの際に、アメリカ人ダリル・アンカ(1951年 - )による地球外知的生命体バシャールとのチャネリング記録などの関連書が翻訳されブームとなった。近年では、さくらももこが装丁・挿絵を担当してヒットしたエンリケ・バリオス『アミ 小さな宇宙人』(1995年版のタイトルは『アミ 小さな宇宙人―アダムスキー マイヤーをしのぐUFO体験』、さくらももこが装丁したのは2000年版、2005年文庫版)は、宇宙人アミに理想の社会・生き方を学ぶ本であり、UFO信仰・チャネリングの系統に属する。宇宙人、宇宙存在を奉じる宗教は神智学の影響が見られるものが少なくなく、650万年前に金星から降り立った護法魔王尊を崇める京都鞍馬山の鞍馬弘教(1947年 - )も神智学の系統である[47]。
また、霊媒カミンズによる「マイヤーズの霊界通信」では「グループ・ソウル」(類魂)説[48]という霊魂説が唱えられ、現在の心霊主義にも影響を与えている。マイヤーズは生前、人間の識閾下の部分(無意識)でのコミュニケーションが存在するに違いないと考え研究したが、自らの思想を死後の世界で深めたものとされる。霊魂はそれぞれグループに属し、生きた体験を自分だけではなくグループ全体で共有しているという考え方である。経験をグループで共有することで、グループ内の個魂は、何度も永遠に生まれ変わらなくても霊的進化の道を歩むことができるという理論で、仏教等に見られる個の輪廻転生とは大幅に異なる[49]。マイヤーズの霊界通信では、ブッダの思想は「生自体の否定」と批判されている[50][51]。

 

日本の心霊主義

日本においても、西洋でのスピリチュアリズムの台頭とほぼ同じ時期の幕末、『仙境異聞』や『神界物語』など、平田篤胤(1776年-1843年)とその門下による死後世界の研究や、黒住教(1814年設立)、天理教(1838年設立)、金光教(1859年設立)など、「神がかり」による教派神道の成立が相次いだ。明治以降には、仏教学者の鈴木大拙(1870年 - 1966年)が、死後の世界を描いたスヴェーデンボリの著作『天界と地獄』[52]などを翻訳・紹介し、欧米の神秘思想・心霊主義が日本にも伝えられブームとなった。大正期には、当時もっとも実践的な心霊研究をしていた[53]宗教団体・大本(1892年設立)が巨大教団へ成長し、日本の新宗教・新新宗教の源流の一つとなった。
日本の心霊主義運動の父といわれる浅野和三郎(1874年 - 1937年)は、大正末期に大本を離れ、心霊科学研究会(1923年)を設立。日本神霊主義(日本スピリチュアリズム)を生み、昭和期に入ると欧米の心霊研究が日本へ本格的に紹介され始めた。後継者の脇長生が日本神霊主義を発展させた[54]。
柳瀬芳意(1908年 - 2001年)によって、『宇宙間の諸地球』 (静思社、1958年)などスヴェーデンボリの著作が継続的に翻訳され、今村光一(1935年 - 2003年)によって『霊界日記』の抄訳『私は霊界を見て来た』(叢文社、1975年)、オリバー・ロッジ 著『死者は生きている』(叢文社、1975年)、前世を記憶する子供や、霊魂の生まれ変わりなど、心霊主義に関する書籍が出版された。

 

死後の世界ブーム(1985年ごろ - 1995年ごろ)
1971年には、医師エリザベス・キューブラー=ロス(1926年 - 2004年)が末期患者を対象に「死にゆく人々の心理」を研究した『死ぬ瞬間』(川口正吉 訳、読売新聞社)が出版され「死」に注目が集まり、臨死体験の事例を研究したアメリカの医師・心理学者レイモンド・ムーディによる『かいまみた死後の世界』(中山善之 訳、評論社、1977年)とその続編『続 かいまみた死後の世界』(駒谷昭子 訳、評論社、1989年)や、アメリカの精神科教授イアン・スティーヴンソンらが前世の記憶を検証した『前世を記憶する子どもたち』(日本教文社、1990年)も邦訳され、欧米で進んでいた「死後の世界」や「再生(輪廻転生)」に関する科学的な研究成果が日本にもたらされた。『スウェデンボルグの霊界からの手記』(経済界、1985年)など、今村光一によるスヴェーデンボリの紹介も続いた。
心霊主義・神智学は、1960年代のアメリカの対抗文化を背景として1970年代以降に欧米で広まったニューエイジ運動の源流でもあり、日本ではニューエイジは「精神世界」として受容され1980年代に広まった。心霊主義関係の海外の邦訳などの影響で、日本では1980年代半ばから「死後の世界ブーム」がおこり[55][56]、1986年ごろから人の守護霊の声を聞くという宜保愛子らが霊能者としてテレビに出演するようになった。脇長生の門下桑原啓善(1921年 - 2013年)は、脇の思想にイギリスの霊界通信の内容を加味させて、ネオ・スピリチュアリズム(1985年 ー )を作り出した[54]。また、俳優としても知られる心霊研究家丹波哲郎による心霊主義の著作「大霊界シリーズ」が1987年からに出版され通算で250万部に達し、死後の世界を幻想的に映像化した映画「丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる」(1989年)は続編「丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!」(1990年)とあわせて300万人の観客動員数をよんだ。1991年にはNHKが臨死体験を取材しNHKスペシャルで放送され、臨死体験が一般社会にも浸透するきっかけとなった。この放送は、宗教やオカルトの問題と考えられていた「臨死体験」にNHKが真正面から取り組んだことで、大きな反響を呼んだ[55]。またチベット仏教ニンマ派の死者の枕頭で誦される仏典で、転生へと誘う光に満ちた死後の世界が描かれた、通称チベット死者の書も1990年代に注目を集めた[55]。
心霊主義・近代神智学は、幸福の科学(1986 - )、オウム真理教(1989 - 2000)といった日本の新興宗教にも影響を与えた[要出典]。東京外国語大学の樫尾直樹は、オウム真理教のコスモロジーの骨格には、「精神世界」の潮流の中でも、とりわけ心霊主義や近代神智学の影響がまざまざと見て取れると指摘している[37]。オウム真理教の自己救済・他者救済の教義の根本には、何代も前からの前世で犯した罪が蓄積したカルマをいかに除去し、解脱するかという、霊魂存続を前提とした信念が重要視されていた[37]。
1995年の地下鉄サリン事件などオウム真理教による一連の事件の影響で、「死後の世界」ブームも急速に終焉に向かい、心霊主義やスピリチュアリティの分野がメディアで取り上げられることも大幅に減った。

 

スピリチュアル・ブーム(2000年代初頭)以降
心霊主義は、スピリチュアル・カウンセラーを称する江原啓之(1964 - )をきっかけに再びブームとなった。江原は、浅野和三郎に始まる日本的心霊学を継承する団体のひとつである日本心霊科学協会の流れを汲むが[57]、イギリスでも心霊主義を学び、心霊主義に現代のセラピー文化を取り入れて現代風にアレンジして、1989年に「スピリチュアル・カウンセリング」を掲げてスピリチュアリズム研究所を始めた[5]。江原の著作『幸運をひきよせるスピリチュアルブック』(2001年)がベストセラーになり、テレビ番組「オーラの泉」(2005 - 2009)などメディアに盛んに露出するようになったことで、心霊主義は「スピリチュアル」として一般に広く普及した。「オーラの泉」は、江原がゲストのオーラや前世や守護霊、オーラなどを「霊視」してアドバイスをする番組で、スピリチュアル・ブームを生んだ[58]。「オーラの泉」などのスピリチュアル番組は、日本民間放送連盟が規定する次の放送基準の観点から問題視された[58]。

 

第8章 表現上の配慮 (54)占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない。現代人の良識から見て非科学的な迷信や、これに類する人相、手相、骨相、印相、家相、墓相、風水、運命・運勢鑑定、霊感、霊能等を取り上げる場合は、これを肯定的に取り扱わない。
全国弁連(全国霊感商法対策弁護士連絡会)は2007年に、民放連やBPO(放送倫理・番組向上機構)などに、「霊界や死後の世界について安易かつ断定的にコメントし、占いなどを絶対視する」番組を是正するよう要望書を提出した。これを受けて、スピリチュアル番組では「“前世”、“守護霊”は、現在の科学で証明されたものではありません」などの断りのテロップを流すようになった[58]。宗教情報センターの藤山みどりは、占い師がゲストを鑑定する番組「金曜日のキセキ」(2010 - 2011)では、「前世」「オーラ」「守護霊」など「オーラの泉」で批判された言葉は使われないが、現代では非科学的とされる「霊」「死後の存在」を肯定するような表現が見られると指摘している[58]。
2007年に大学生を対象に実施された國學院大學による第9回学生宗教意識調査では、「オーラの泉」を知っていた学生の8割[59]が、この番組は「やらせ」があると回答しているが、「オーラの泉」での「霊の話」を信じるかどうかという質問には、46.1%[60]が信じると回答した。同調査で「霊魂の存在」を信じると回答した学生は68.6%[61]と多く、2010年の第10回調査でも65.5%と同水準で高い。NHK「日本人の意識」調査(2008年)でも、若年層を中心に来世、あの世など死後存続を信じる人が増えていることが示されている[58]。
折原みとの少女小説〈天使シリーズ〉(1988年 ‐ 1991年)、冨樫義博のマンガ『幽☆遊☆白書』(1990年 - 1994年)、高橋留美子のマンガ『境界のRINNE』(2009年 - )といった作品でも、死後存続、死後の世界、霊魂、霊体、輪廻転生といった心霊主義の概念が取り入れられており、人気を博している。

 

現代の動向
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科学的アプローチ
1970年代から現在にかけては、臨死体験や「生まれ変わり」といった、「死後の生」を示唆し得る事例の収集と研究が進んだ。これらは、主にメディアを通して、現代人の死生観を変化させている。
1975年以降、レイモンド・ムーディが臨死体験を調査報告したことをきっかけに、光の存在との遭遇や、亡くなった親類との再開、体外離脱など、危篤状態における同様の神秘体験の報告が、急速に増加してゆく。これは、第二次世界大戦後の救急医学の進歩により、危篤患者の蘇生する確率が上がったためである。
その中でも、ソ連崩壊やチェルノブイリ原発事故、湾岸戦争など、将来の重大事件を体験中に見せられたダニオン・ブリンクリーや、脳機能の完全に停止した状態で体外離脱を経験し、自らの手術の様子を正確に描写したパム・レイノルズなどは、現在のところ脳内現象説では十分に説明できない特異な事例である。
1987年、イアン・スティーヴンソンは、信憑性が高いと見なした多数の「生まれ変わり」事例を発表する。また、「過去生」への退行催眠も、アレクサンダー・キャノン(1950)を始まりとして、ジョエル・ホイットンやヘレン・ウォムバックらにより、1970年代以降、盛んに研究される。こうして、それまではタブーであった「輪廻」事例の研究が、正規の大学に所属する研究者によっても本格化してゆく。ただし、本人が「前世の記憶」と認識する記憶が前世の存在証明になるかについては、多くの意見がある。アメリカでは、ブライアン・ワイス(英語版)などの精神科医によって、催眠によって出生以前まで記憶を退行させ、前世(だとされる)イメージを見る事で、ストレスの緩和、心的外傷、その他多くの症状を治療するという「前世療法」が行われた[62]。1970?80年代にかけてのアメリカでは、催眠治療によって幼い頃の親による虐待やレイプの記憶を「思い出す」子供が多くあらわれ、裁判が行われたが、催眠によって「作られた」虚偽記憶が多く含まれており、多数の冤罪が生み出され大きな社会問題となった[62]。作られた記憶(エピソード記憶、過誤記憶)は、過去における事実ではなくても、主観においては真実の過去となる。前世療法および退行催眠は、患者に偽物記憶を植え付けてしまう危険性がある[62]。施術者が意図的に誘導する事も可能であり、意図せずとも「作られた過去」、「作られた前世」といった虚偽記憶を植え付けてしまう可能性は否定できない[62]。
量子脳理論の霊魂の実在アプローチ[編集]
ケンブリッジ大学の数学者ロジャー・ペンローズとアリゾナ大学のスチュワート・ハメロフは、意識は何らかの量子過程から生じてくると推測している。ペンローズらの「Orch OR 理論」によれば、意識はニューロンを単位として生じてくるのではなく、微小管と呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じる。この理論に対しては、現在では懐疑的に考えられているが生物学上の様々な現象が量子論を応用することで説明可能な点から少しずつ立証されていて20年前から唱えられてきたこの説を根本的に否定できた人はいないとハメロフは主張している。[63]。
臨死体験の関連性について以下のように推測している。「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない。」と述べている[63]。

 

脚注
^ スピリティズムは、心霊主義の教義・儀式、または19世紀フランスのアラン・カルデックによる心霊主義の思想も指す。
^ a b c d e f g h i j k l m n フランソワ・グレゴワール 著 『死後の世界』 渡辺照宏 訳、〈文庫クセジュ〉、白水社、1992年
^ 唯心論は必ずしも物体の存在を否定するものではない。
^ 唯心論(スピリチュアリスム)と心霊論(スピリティスム) : ベルクソン哲学における催眠・テレパシー・心霊研究 藤田尚志 フランス語フランス文学研究 (91), 168-183, 2007-09-20
^ a b c d e 島園進 著 『スピリチュアリティの興隆 新霊性文化とその周辺』 岩波書店、2007年
^ a b Braude, Ann Braude (2001). Radical Spirits: Spiritualism and Women's Rights in Nineteenth-Century America, Second Edition. Indiana University Press. p. 296. ISBN 0-253-21502-1.
^ Britten, Emma Hardinge (1884). Nineteenth Century Miracles: Spirits and their Work in Every Country of the Earth. New York: William Britten. ISBN 0-7661-6290-7.
^ コトバンク - 心霊主義
^ 長山正義 「スピリチュアリティの考察」大阪市立大学看護学雑誌 第4巻 2008.03
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar 吉村正和 著 『心霊の文化史?スピリチュアルな英国近代』河出書房新社、2010年
^ Times, New York (29 November 1897). THREE FORMS OF THOUGHT; M.M. Mangassarian Addresses the Society for Ethical Culture at Carnegie Music Hall.. The New York Times. pp. 200.
^ a b c d e f g h i j k l 稲垣伸一 著「理想国家建設の夢 -ユートピア思想・スピリチュアリズムと社会改革運動」
^ 現在は疑似科学に分類されるが、当時は科学と考えられていた。
^ カルデシズモ、スピリティスム、スピリティズム、エスピリティズモとも。
^ ポルトガル語で一般的に心霊主義を意味する。
^ a b c d ブラジルにおける天理教の受容 : 背景としてのエスピリティズモ 山田政信 宗教研究 81(4), 925-926, 2008-03-30 日本宗教学会
^ ブレイクとスウェーデンボルグ 日本女子大学英米文学研究 41, 181-192, 2006-03
^ ドストエフスキーとスウェーデンボルグ : Czeslaw Miloszの論文を読んで 中村健之介 ロシヤ語ロシヤ文学研究 (11), 60-72, 1979-10-10 日本ロシア文学会
^ a b c d e P.B.シェリーの作品に見られるメスメリズムについて 望月健一 富山短期大学紀要 47, 69-91, 2012-03-08
^ ドストエフスキーと催眠術 越野 剛 Japanese Slavic and East European studies 21, 43-56, 2001-03-31
^ アメリカ合衆国における二度目のリバイバル「第二の覚醒」の影響を強く受けた地域という意味でこう呼ばれていた。
^ 897夜『千年王国の追求』ノーマン・コーン 松岡正剛の千夜千冊
^ ニューヨーク州西部にはユートピア的生活共同体の一つであるオナイダ・コミュニティがあり、シャルル・フーリエのユートピア思想に基づくコミュニティもいくつも建設された。
^ Carroll, Bret E. (1997). Spiritualism in Antebellum America. (Religion in North America.). Bloomington: Indiana University Press.
^ a b 吉村正和 著「オーウェン共同体と世俗的千年王国」 言語文化論集. v.29, n.2, 2008, p.269-287
^ ロチェスター・ラッピング(Rochester Rapping)とも呼ばれる。
^ a b c d 科学と非科学 : 英国19世紀心霊主義からの教訓 岡本正志 京都教育大学教育実践総合センター 物理教育 49(4), 388-391, 2001-09-20 日本物理教育学会
^ a b 「心霊の文化史?スピリチュアルな英国近代」吉村正和 著 Kousyoublog
^ a b c d e f g h i j 「新宗教のブラジル伝道(12)キリスト教の変容 ⑨」 天理大学国際学部教授 山田政信
^ 日本ではスピリチュアリズムもスピリティズムも、心霊主義を指すことばとしてあまり区別されることなく使われている。
^ a b c d e ⑩」 天理大学国際学部教授 山田政信
^ a b c 「宗教」 人々(住民) 駐日ブラジル大使館
^ a b c d ブラジルにおける世界救世教 : 背景としてのエスピリティズモ 松岡秀明 宗教研究 81(4), 926-928, 2008-03-30 日本宗教学会
^ 「新宗教のブラジル伝道(14)キリスト教の変容 ⑪」 天理大学国際学部教授 山田政信
^ a b c d e f g h i j k 「新宗教のブラジル伝道(16)キリスト教の変容 ⑬」 天理大学国際学部教授 山田政信
^ トランスナショナル時代のウンバンダ 庄司博史編『移民とともに変わる地域と国家』国立民族学博物館調査報告 83 : 89― 104(2009
^ a b c 「精神世界」とオウム真理教 : スピリチュアリズムと神智学との関連から 樫尾直樹 宗教と社会. 別冊, ワークショップ報告書 1996, 59-65, 1997-03-01 「宗教と社会」学会
^ G・V・オーエンについて
^ a b c 古代霊は語る―シルバー・バーチの霊訓より P138
^ 高級霊の判断基準 (12)通信霊が、スピリチュアリズムの指導的立場にある 15行目
^ 「チャネリング」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』
^ セオドア・ローザク 著 『意識と進化と神秘主義』 志村正雄 訳、鎌田東二 解説、紀伊国屋出版社、1978年
^ 聖書の内容を新しい視点で解釈しようとするニューソートでは、人間の意識は宇宙と関係しているとし、その根拠を聖書に求める考え方がある。
^ エイリアン遭遇体験を検証する 根拠
^ 雑誌「ム-」の12月号(99年)にウランティア・ブックについての記事が掲載されていました。
^ a b c 羽仁礼 著 『超常現象大事典―永久保存版』 成甲書房、2001年
^ 大田俊寛 著 『現代オカルトの根源 - 霊性進化論の光と闇』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2013年
^ ヨーロッパでは、薔薇十字団による、グループの精神的な集合的意識、または同じ理想を共有することによってある集団が保持している集合意識のエネルギーを意味する「エグレゴア」など、類魂に類似する概念が見られる。
^ 藤野敬介「英国心霊主義とマイヤース」 國學院大学
^ スピリチュアリズムからの仏教批判――マイヤーズ通信による「仏教者の死後の行方」 東京スピリチュアル・ラボラトリー
^ 当時のヨーロッパの仏教理解は「解脱」を「魂の消滅」とするなど誤解が多いため、どのような仏教理解に基づいた意見であるかは不明である。
^ スエデンボルグ 著 『天界と地獄』鈴木貞太郎(鈴木大拙) 訳、英国倫敦スエデンボルグ協会、1910年 近代デジタルライブラリー
^ 浅野和三郎より引用
^ a b 心霊研究とスピリチュアリズムの発展史概観 渡部俊彦 Journal of International Society of Life Information Science 25(1), 81-90, 2007-03-01
^ a b c 「死後の世界」(1) 現代日本のトレンドと報道 藤山みどり
^ 藤山みどりは、「死」の学術研究の嚆矢とされるエリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』の邦訳が発刊された1971年以降の「死後の世界」のトレンドを4期に分け、次のように説明している。
探究心からの「死後の世界」(1985年ごろ - 1995年ごろ):第1次死後の世界ブーム。ブームの背景としては、科学への懐疑、物質主義から精神主義への転換、既成の宗教への反発、日常への不安、死が見えなくなったことの裏返し、高齢化社会の反映、脳死臓器移植の立法が議論された影響、テレビメディアの影響などが指摘されている。
停滞期(1995年ごろ - 2005年ごろ):オウム真理教による地下鉄サリン事件(1995年3月)の影響で、「死後の世界」ブームも急速に終焉に向かい、メディア全体が「死後の世界」の扱いに慎重になった時期。
自己中心的な「死後の世界」(2005年ごろ - 2008年ごろ):前世や守護霊、オーラなどを見る「スピリチュアル・ブーム」で、藤山は「第2次死後の世界ブーム」ともいえるとしている。背景は、物質的価値観偏重からの脱却、既成宗教の影響力の低下、科学でも宗教でもない新しいものへの希求、医療現場などで宗教の代わりにスピリチュアルケアが注目されるなどスピリチュアルへの関心の高さ、集団で暴走しかねない宗教と違って個人的な関わりであることへの安心、人生モデルが崩壊した現代に迷う女性の通過儀礼などが指摘されている。霊視や霊感商法に関する相談件数が2006年度に急増し、若年層の霊魂や死後の世界への肯定が指摘され、ブームであったスピリチュアル番組が批判され、これを受けスピリチュアル番組は下火になった。
近しい死者が生き続ける「死後の世界」(2007年ごろ - 2014年現在):2007年から団塊世代の定年退職が始まり、終活(自分の死に向けての準備・活動)や尊厳死が注目され、「死」がオープンに語られるようになった。歌「千の風になって (秋川雅史のシングル)」のヒットなど、「他者の死」やいわゆる「二人称の死」から展開された「死後の世界」が見られるという。「他者の死」を受容しきれない場合、「死者」が何らかの形で存在し続けていると考えることで、「生者」は次第に「死」を受容することができる。藤山は、ここでは「死後の世界」の詳細な描写は不要で、そこで「死者が生き続けている」ことと、接点が「生者」に身近に感じられることが重要になると述べている。「死後の世界」のイメージが明るくなっているという指摘もある。
^ 吉永進一「スピリチュアリズム」『宗教学事典』 星野英紀・池上良正・氣多雅子・島薗進・鶴岡賀雄[編]、丸善、2010年。
^ a b c d e テレビにおけるスピリチュアル番組の問題はどうなったか??「金曜日のキセキ」などから? 藤山みどり 宗教情報センター
^ 「やらせだと思う(「殆んどやらせである」+「時にはやらせがある」)」が80.1%
^ 「霊の話」を「信じる(「信じる」+「どちらかと言えば信じる」)」が46.1%
^ 「霊魂の存在」を「信じる(「信じる」+「どちらかと言えば信じる」)」が86.6%
^ a b c d 前世療法の危険性 日本催眠心理学会
^ a b NHK ザ・プレミアム超常現象 さまよえる魂の行方モーガン・フリーマン 時空を超えて 第2回「死後の世界はあるのか?」

 

参考文献[編集]
吉村正和 『心霊の文化史?スピリチュアルな英国近代』 河出書房新社〈河出ブックス〉、2007年。ISBN 978-4-309-62409-9。
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三浦清宏 『近代スピリチュアリズムの歴史 : 心霊研究から超心理学へ』 講談社、2008年。ISBN 978-4-06-214675-3。
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モーリス・バーバネル 『古代霊は語る―シルバー・バーチの霊訓より』 近藤千雄訳、潮文社、2005年。ISBN 4-8063-1395-5。
大田俊寛 『現代オカルトの根源 - 霊性進化論の光と闇』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2013年。ISBN 978-4-480-06725-8。

 

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